奈良・桜井ライトワーク~夏至の祭祀①
皆様、こんばんは☆
ミドリです。
さて今回は、かなり時間が経ちましたが(;'∀')、
ようやく6月の夏至の現地ライトワークについて皆様にご報告させて頂きますね。
同時開催させて頂いた夏至の一斉ワークにご参加頂きました皆様、あらためまして、
どうもありがとうございました。
この現地ライトワークでは、
巫女であった時の過去世の自分とともに、必要な場所で夏至の祭祀を、今世の私が新たに行わせて頂いた旅でありました。
やはりお伝えできないことが今回も多々あるのですが、
私の旅の記録として、
また皆様にこの旅の記録が何かしらのお役に立てるかもしれないという願いを込めて、
今回も頑張って綴らせて頂きます(*^^*)
※その前にお知らせ。
~只今ライトワーカーさま絶賛増加中です♡~
今回の旅は、前回長々と綴りました春分の奈良・山の辺の道ライトワークに続くお仕事として、
夏至の当日に再び奈良県桜井市の地へ出向かせて頂きました。
いつものように早朝都内を出発しての日帰り弾丸旅です。
電車を乗り継いて到着したのはこちら、奈良まほろば線の巻向駅です。
この日の旅はここからスタートとなりました~。
巻向駅は、単線まほろば線ならではの小さなかわいい駅です。
史跡が周囲に点在するエリアの駅なのですが、
駅以外周囲にはお店も何もない、その素朴なのどかさに今回もなんだかほっとしました。
前回の春分の旅では大変な悪天候に見舞われた一日となったのですが、
今度はその真逆で、この日は本当にお天気が良くて、一日中陽差しの降り注ぐ夏日となりました。
天気がこうも違うと町の印象もかなり異なります。
前回は何より私自身が一人で勝手にずたぼろとなっていたので(;'∀')、
この日は自分の状態も違うのもあり、
夏至の日の桜井市の空気はとても軽やかで爽快感に満ちていました。
何より私自身がお仕事を遂行しにきたという自負に溢れており、
勇ましい私で出発できたことが何だか嬉しかったです。
今回の最初の目的地は、
穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)となります。
神社へ向かって駅から歩きだすとすぐに、住宅街の中に当社の一の鳥居がありました。
正一位穴師大明神とあります。
この一の鳥居から神社の境内まではまだ1.5キロは在りますから、
穴師坐兵主神社はとても大きな神社であったことが窺えます。
そもそも穴師坐兵主神社が今ある地というのは、もとは穴師大兵主神社という別の神社が建立されていた地でありました。
穴師坐兵主神社は当初はもっと山深い奥地に在ったのですが、応仁の乱による焼失によって、同じく山地にあった巻向坐若御魂神社という別の神社とともに、
3つの合祀神社として新たにこの地で穴師坐兵主神社となったようでした。
何だかややこしいですが、
そのためか御祀神の言い伝えも複雑化しています。
そして山地にあって焼失してしまったというもともとの穴師坐兵主神社は延喜式内名神大社であり、当時は大神神社や石上神宮とも比肩するほどの大社であったそうです。
そのかつての一の鳥居は社殿から10km以上も西に離れた北葛城郡広陵町にあったそうですから、そのさらなる大社ぶりが窺えますね。
これ以上掘り下げるととても長くなってしまいますのでここでは割愛しますが、
ともかく穴師坐兵主神社は今となっては、その創建や御祀神等、大変謎多き古代の大社の合祀神社として現存している神社となります。
そして過去世の私ともご縁のある神社でもあるのでした。
この過去世からのご縁によって、
この地にて、
過去世の巫女の私としてそして今のこの私自身として、
今世はじめて自らの意志で祭祀の儀式を行わせて頂くことになったのでした。
そのせいかありがたいことに、この日京都から奈良に向かうみやこ路快速の電車に乗車中、多くの高次の存在方がやってきてくださり、様々なメッセージや情報を授けてくれました。
古代氏族の方々や神界の方々、宇宙存在、またレムリアの人魚やイルカ、クジラたちまでが祝福の言葉を伝えにきてくれました。
宇宙船も続々と集まってきて、多くの龍たちの姿もありました。
特に今回の儀式や場所の性質上、古代氏族の方がとても多く集ってくださり、小野氏や安曇族、猿女氏や海部、豊族、などなどのご縁ある代表の方々がいらしてくれて、感謝とともに身の引き締まる思いがいたしました。
この時はさらに伊香色謎命や速玉之男命、天村雲命から手厚いサポートやメッセージを受けさせて頂き、
特に今回は村雲より多くの準備を手伝って頂くことが出来ました。
そして不思議だったのですが何故か知恩院より法然にも参じて頂きました。
このご縁は何のご縁だろうと思いつつも、ご縁というのはいつか紐解けることが経験からわかっていましたから、この時はただただ感謝してありがたく受け取らせて頂きました。
こうしていつものように、皆様から必要なサポートと情報をこの身体で目一杯受けさせて頂く道中となり、到着までに現地での準備が完成していきました。
何とも忙しいみやこ路の車内でしたが、おかげで京都駅から奈良駅まであっというまに過ぎていきました^^
さて一の鳥居から先に続く、神社の参道ともなっている歴史街道を進んでいきます。
とてものどかな風景の続く一本道です。
右手には三輪山が見えました。
三輪山を拝しながらこの地の美しい空気を吸い込み、
響く水路の水の音に身が清められるようでした。
このあたりは水田が多く、四方に水路がめぐらされていて、流れる水の音がどこへ行っても清らかに鳴り響いていました。
桜井市は豊富な緑と水の滴る、豊かな自然にあふれた素晴らしい日本のふるさとです。
道の途中、垂仁天皇、景行天皇の宮跡がありました。
この辺りは当時のトップたちの城宮があったとされる場所であるようです。
さらに歩くと、巻向(纏向)遺跡全体を見渡せるポイントに到着しました。
纏向遺跡は三輪山の北西一帯に広がる、
弥生時代末期から古墳時代前期にかけての都市遺跡であるそうです。
遥か古代の纏向の地に想いを馳せながら、眼前にひろがる景色を眺め、ここで少しだけひとやすみしました。
内容はお伝えできませんでしたが、
前回の旅でも纏向の祭祀跡などにお仕事で行かせて頂いています。
変わらない景色。
そう自然と感想が生まれてしまうくらい、この地は何も変わらないのでした。
この地には時の流れを感じさせない軸があることがわかります。
それはとても凄いことであり、そして意味のあることであるのでした。
ここでもさらに私のできるお仕事をさせて頂きました。
そして再び歩くこと数分、
ついに相撲神社が見えてきました。
穴師坐兵主神社の手前にあるこの相撲神社は、相撲発祥の地といわれる神社です。
日本書紀によると、垂仁天皇の時代、当麻蹴速と野見宿禰による天覧相撲が行われたとされる場所であるということです。
こちらの相撲神社はとても小さな神社でした。
穴師坐兵主神社と敷地がつながっていて、エネルギーもほぼ穴師坐兵主神社と同じでした。
奥の小さな祠で合掌させて頂きます。
相撲神社で私が特にすることはありませんでした。
参道に戻るとそのすぐ先に、
穴師坐兵主神社の二の鳥居がありました。
ここが森に潜む古社、穴師坐兵主神社の入り口です。
鳥居の先にも緑の道がさらに続きます。
鳥居をくぐるとそれまでとは全く異なる異空間が広がっていました。
押し迫るような静寂に、地面から瀧音のような激しい流水音だけが途切れることなく鳴り響いています。
近くに溜池や用水路があるせいでしょうか。
この地では水の流れる轟音に最初から最後までずっと包まれていました。
この結界内はまるで時がぴたりと止まったような、そして全く流れのないエネルギーの神域でした。
自分が、この濃密な静寂の空間に波紋を起こす、望まれない部外者のような気さえしました。
何とも言えない張り詰めた緊張感に、歩を進めるごとに心臓が速まります。
入ってすぐにわかったのは、この地は明らかに禁足地であるということでした。
それは、観光地としてのそれではなく、
この地の意味を知る者にとって活きてくる意義としての、禁足地です。
この地はまるごと封印されていました。
そしてその封印を解く鍵を持っているのは、この私なのでした。
この森の木々たちは私の問いかけに全く答えてくれませんでした。
私のことを相手にしていなくて、無視しているのかなと最初は思いもしましたが、
そうではないことがすぐにわかりました。
彼らは私を観ているのでした。
無言の彼らは固唾をのんで私を見守っていました。
まるで私の一挙手一投足を見張っているような、
その痛いほどの凝視のエネルギーが私に集中していたのです。
この張り詰めたある種切実な緊張感を私は一度経験したことがあります。
それは去年の夏、別のお仕事で出向かせて頂いた、あの青木ヶ原樹海での時と似ていました。
森の精霊たちの願いでもあり祈りでもあるような、切なるエネルギーの高まりと極まり。
長い年月を経て年輪のように積み重なった時の重さと、
ついに差し迫ったこの瞬間に全てを込めて凝縮したエネルギーが、
私という一点に集中して注がれていたのです。
私はその重責にむせるような肺の感覚を味わいながら、
全てを心得ていた過去世の私と徐々に重なって、
一歩一歩この地を踏み締めるようにして、
お社の方へとさらに奥へと進んでいきました。
この灯籠の先から境内となるようです。
階段を上がるとさらにエネルギーが硬く煮詰まっていきます。
境内の中には詳細不明の小さな古いお社が点在し、
濃密な自然のエネルギーに満ちた独特の奥深い世界がさらに広がっているのでした。
村雲が言うには、
奈良はまだ手つかずであるのだそうです。
奈良を開けば日本がさらに開く、
村雲はそうおっしゃいました。
奈良はサイキックの原点である、
日本中からいろんな氏族が集まり、
力を集約した場所であると。
緑のべールの先にとても広い空間が広がっていて、ようやく社殿が見えてきました。
瀧のような流水音がさらに轟きを増していきます。
空間の左手側に、
穴師の森を背負うようにして、石段の上に拝殿が建っていました。
その厳かな佇まいに吸い込まれるようにして拝殿へと向かいます。
拝殿の後ろには、見えにくいのですが三棟の本殿が立ち並んでおり、
中殿に穴師坐兵主神社の「兵主神」を、右殿に巻向坐若御魂神社の「若御魂神」を、左殿に穴師大兵主神社の「大兵主神」を祀っています。
これらの御祀神の本体や正体については様々な言い伝えや考察がありますが、
こちらで私がご挨拶をさせて頂き、この時に私がまず感知できたことは、
ここは全ての機能が停止した神域であるということでした。
空殿です。
無ー。
ここには誰もいないし、何もないのです。
何の働きも、
何の影響もなく、
誰もいない、
ただ水の激しい流音と、
鳥の声だけが響き、
木々たちも語らず、
神々も降りてこない、
龍たちも、
宇宙船もこない、
本当に何もない、
本当の意味での禁足地がそこにあったのです。
それにしても、社殿の前には何とも広い空間がぽっかりと広がっていました。
当時は、たくさんの人が集まって祭祀を行うことも、大きなご神事を行うことも出来たことでしょう。
必然的にこの広場が今回の私のお仕事の舞台となることになり、
少し怯みながらも広場の中心に立つと、
烏が頭上で大声で鳴き、
あっという間にワークへとなだれ込んでいったのでした。
今回のお仕事は、
とても長い時間がかかりました。
何度も休みを入れ、
大地に祈りを捧げ、自分の封印を解き、
自分の中から湧きあがってくる記憶や情報から次の仕事が見出され、
この穴師の大地に、
穴師山の麓に集約されたすべてを開くために、
身体を使い、心を使い、魂を使い、
開闢となる舞いを舞わせて頂きました。
不思議なことに、行きのみやこ路の列車では、
あれだけの祝福とサポートの情報を届けに多くの方々がやってきてくれたというのに、
この時この広場には誰もいませんでした。
誰も何の導きもしてくれることはなく、
こちらからのコンタクトにも無音のまま、
森たちと同じように、
ただ私を結界の外から観ているだけでした。
いつもの私のライトワークでは、
全ての存在と一緒になって行う、喜びと奇蹟に満ちた瞬間が多かったのでしたが、
今回は本当に私一人きりで取り行い、
それをとても多くのギャラリーに取り囲まれて披露するという、
なかなかハードルの高い儀式となりました(;'∀')
そしてこれは自分を大きく磨き開くための儀式ともなったのでした。
そしてさらにこの儀式は、
日本人のサイキックな性質を開くための儀式、
それはつまり新たなアセンションワークともなっていったのでした。
お仕事を進める中で、
私が過去世で行っていたご神事も祭祀も蘇ってきました。
ひとつ、
私は満月の夜に、
月のしずくを受け取り、
この身体に月を入れておりました。
月は古代の時代、全ての生の営みの中で、
その生命そのもの、魂そのものを司り、
全てを映し出し、
祈りを叶え、
皆が月に還りたいと本能的に思い出すその本質なる求めを、
その光のしずくで溶かし包んでくれたのです。
月は古代の最初の癒しであり、
全ての願いの象徴でもありました。
満月の満ちる夜、
私はその民の願いをも一身に受け、
月の祭祀を行っていたのです。
境内から続く森の中に、近づくのさえためらわれるような、独特なエネルギーを放つ神秘的な池がひっそりと存在していました。
その池を目にすると、
池に身を沈め、
月の祭祀を行った私の思い出が蘇ります。
それは本当にこの池だったのか、
その真否は私の中でまだ定かではないですが、
その他の地でも、もっと遠くの地においても、
大きな池や水場で、
身を沈めたり船に乗ったりと、水中水上で、月の神事を行っていた巫女、
それが私であったことはゆるぎない真実なのでした。
そして古代においても、
私はスターシードでありました。
月のご神事は宇宙との交流であり、
月巫女は宇宙巫女でもあったのでした。
ふたつ、私は宇宙巫女として、
宇宙とのワークや祭祀を古代でもひそやかに行っていたのでした。
こうしてこの儀式の中で過去世での力をいくつか取り戻すことが出来た後、
次に今度は、今の私ができる私独自の祭祀を新たに開始させて頂きました。
これは夏至の宇宙祭祀となりました。
こちらも何度も少しずつ時間をかけて行わせて頂きました。
ようやくこのタイミングで集ってくるようになってくれた宇宙船とともに、
この地を宇宙と新たにつなげさせて頂きました。
空(くう)に宇宙曼荼羅を描き、
コズミックホールを縦に構築し、
何度も開き降ろす行程を経て、さらに大地深くともつなげさせて頂きました。
創りながら、
ここにはかつて宇宙船がよくやってきていたことも思い出しました。
開き、祈り、降ろし、祈る。
休憩と舞いを繰り返し、
時には地を這うように、深い瞑想をさせて頂く時もありました。
あまりに長い間この穴師の聖地と密着して行っていたため、
気づけばすぐ隣でスズメバチが羽づくろいをしていたり、
毛虫がスカートを這っていたり、
蝶々や蛾が腕にとまったり、
なめくじが足にまとわりついていたり、
かなちょろさんが顔の前に現れたりと、
普段であれば即悲鳴を上げるような場面もたくさんありましたが(;'∀')、
この穴師の自然達と一緒くたになって、
皆に受け入れてもらって、
この地を再度新たに宇宙へと解き開く瞬間を共にさせて頂ける喜びに、この時はただただ感極まるのみの私でありました。
そうしてこの集約の穴師の麓そのものを解き放ち、
新たな私の宇宙祭祀の場として復活させても頂いたのでした。
そして開いたこの宇宙の祭祀場で、
皆の願いを宇宙へと昇華させて頂きました。
全てを終えると、
私は新しい自分を取り戻す、という境地に立っていました。
そしていつものごとく、仕事を終えた私は、もう用のなくなったその場から足早に立ち去り始めました。
ですがふと気になって振り向くと、
さっきまで私が祭祀を行っていた広場に、過去世の私が舞っていたのでした。
〇〇はとても美しい舞を舞っていました。
今世の私ではとうていできない、透明な光の灯るような、はかなくも力強い、とてもとても美しい舞いでした。
これはただの私の幻影だったのかもしれません。
ですが凍結されていた聖地に命を吹き込むように、
まるでその象徴であるかのように、
過去世の私、〇〇が明るい昼の雪のように、
消えそうで消えない光となって、
いつまでも舞っていたのでした。
私は過去世の私の姿を目に焼き付けると、心から感謝をして、
もう振り向くことなくその場を立ち去りました。
参道の向こう側にある用水池の方で、突然蛙がげこげこと鳴きだし、
お仕事の終焉を告げてくれました。
さっきまであれだけ蟲たちに囲まれても大丈夫だった私でしたが、
やはり蛙嫌いは健在で、蛙の声は申し訳なくも不気味に感じられてしまい(;'∀')、
小走りで穴師坐兵主神社を後にしました。
…こうして穴師坐兵主神社でのお仕事を終えた私は、
また次のお仕事に別の地へと向かうのですが、
長くなりましたので、一度ここでアップさせて頂きますね。
この日は最後に、今月の一斉ワークでお届けさせて頂いたワークのもととなった等彌神社にも行かせて頂きましたので、
次回はその等彌神社についてもご報告させて頂きますね。
ここまでお読み頂きました方々、ありがとうございました♡
引き続きまたご興味がありましたら、よろしくお願い致します。
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