奈良・天理ライトワーク~物部の呪術から虹光のアセンションへ~
皆様、こんばんは☆
ミドリです。
本日はようやく、今年の春分の日のライトワークについて、皆様にご報告させて頂きますね。
この直後から私は抗えない変容シーズンに突入してしまったこともあって、
その後の私自身にとって本当に大きな意味を持つ、お仕事の旅となりました。
私の旅の忘備録としても、頑張って書き記しましたので、
よければお読みくださいね。
そして何かのお役に立てれば嬉しく思います。
今回の春分の旅の目的地はずいぶん前から明確となっていました。
奈良の石上神宮です。
今回は昨年末に訪れた愛知の熱田神宮よりお預かりしたものを、まずこの石上神宮にお持ちしなくてはならないという新たな任務があり、
また石上神宮というところは私の古代の巫女の過去世との関係においても、ある種キーポイントとなる場所でしたので、
どちらの意義と目的も兼ねた、とても重要な場所でのお仕事となったのでした。
そしてこの熱田神宮からお受けした任務をこの石上神宮で果たさせて頂くことで、
私がこのところずっと行ってきている、古代巫女の過去世から今世の私が遂行すべきお仕事も、同時にここでの必要な内容が全て完遂してしまったのでした。
全てはつながっているということをよくよく思い知らせて頂いた旅となり、
ただ流れのままに今自分のできることを貢献させて頂ければ、それですべてが完璧であるのだ、ということを再度学ばせて頂いた私です。
ライトワークのお仕事を担うたびに私の中に起きる、いくらかの逡巡であったり不安、自信のなさなどは、本当に感じる必要のない、愚かなエゴであるのだなと、あらためて思い知ったのでした。
ということで早速旅の記録の詳細に入らせて頂きますね。
今回の舞台は奈良県天理市となります。
私が天理市に足を踏み入れたのは、私の人生においてこの日がはじめてでした。
私の奈良でのライトワークといえばこれまでずっと桜井市であったので、
今回はその大好きな桜井市、魂のふるさと(笑)桜井市に向かうことなく、天理市にかかりきりとなり、少し寂しい気持ちも味わいつつも新鮮な、今年の春分の奈良での滞在となりました。
天理駅前広場コフフン♪
さてこの日の旅もいつものごとく早朝都内から出発し、行きの列車の中でお仕事の準備を整えさせて頂きました。
というか、たいていその日のサポートに付いて頂ける方から必要な情報を詰め込まれ続けて、あっという間に目的地に到着するのがいつものパターンなので(;'∀')、
この日もいつもの流れに身を任せて列車に揺られていきました。
そして今回私のお仕事のサポートに付いて頂いてくれたのは、何と徐福でした。
徐福!?
いらして頂いた時とても驚いた私でしたが、
本日の舞台は石上神宮、納得のお出ましでもありました。
いろいろな通り名ではなく、「徐福」とシンプルに名乗られてやってこられたのも、感慨深く感じられました。
私自身今回徐福さんとつながらせて頂けたのははじめてのことでしたので、
最初は本当に本物かなと、いろいろ質問してしまいました(;'∀')
とはいえそれもすぐ慣れて、徐福より列車の中でじっくりと、この日の準備として様々に必要な情報を頂かせて頂いたのでした。
この熱田からの預かりものの意味、意義について、
石上神宮で本日私が行う内容について、
そんな基本的なことも徐福の口から確認させて頂くことが出来ました。
そして私の中に在った、自分の過去世の歴史についての疑問や知りたいことなど、今回のお仕事に関係ないことまで、大きくサポートして頂けました。
徐福は、明快に何でも答えてくれる、説明のとても上手な聡明な紳士でした。
このような稀有な時間の中で、
この日の必要な情報を得ながら、
徐福もその他の高次の存在も神々も、
そして私も、
結局は全ての行き着く総合的な目的というのは、当たり前にただただアセンションである、
ということをあらためて認識、共有させて頂いたのでした。
遥か古代から続く共通の目的。
そしてそのために尾張はこの預かりものを私に渡したのであると。
私も彼らも皆、古代から遥か未来を見据えて目指していたアセンション、
あの時もただただこの時のために、多くの準備をしてきたのだと。
私自身、古代日本の過去世において今世に向けて多くの準備をしてきたのを覚えていますが、
徐福でさえもやはりそうであったのかと、
当たり前でしかない真実の確認を、長い時を熟成して今このタイミングで直接確認させて頂けたことに、
万感の思いが込み上げて早くも涙してしまった、到着直前のまほろば線の車内となったのでした。
さて天理駅から石上神宮までは、徒歩で向かいます。
約30分、のどかな町並みをのんびりと歩きました。
はじめて訪れた天理市の町をゆっくりと歩きながら、
こんなに近くにあるというのに、桜井市とは全く異なるエネルギーが流れているのを、心ゆくまで味わわせて頂きました。
私は過去世でもこの天理の地に来たことがなかったので、というか当時は来たくても来れるはずがなかったので、
その複雑な思いとフレッシュな思いが、歩くそばから今の自分に、
ひとつに統合されていくのが不思議な感覚でした。
過去世との深く細かい対峙というのは、
その土地に出向くとさらに詳細が鮮明となり、すべてが自分に還っていきます。
ただ感じて、その空気を吸い込むだけで、
私の細胞のひとつひとつに蘇り帰還する、もう一つの私がいるのでした。
境内に近づいてきました。
この地に関係する当時の諸々は、実は過去世での私にとっては良いものではありませんでした。
私が最終的に命を落とすことになった経緯にも関わりがあります。
ですから、今回の私はとても緊張してもいたのです。
いつも奈良に来るたび、受け入れがたい自分の過去世の経験に直面させて頂いていますが、
今回もまた私にとって非常に大きな対峙となりました。
しかしさすがに私も今回はこうしたことに慣れてきていたのか、それともすでに強く覚悟が出来ていたからなのか、
不思議と不安や恐怖までは湧かずに到着することができました。
はじめて奈良の地に来た時の、あの今にも失神しそうだった極限状態が懐かしいくらいです。
ただ、いったいこの境内でこれからどんな新しい経験が待っているのか、
そこで私は今回のお仕事をちゃんと遂行できるのか、
ある種の張り詰めた緊張感に満ち続けていたのは確かだったのでした。
そうこうするうちに、ついに大鳥居に到着しました。
こちらが石上神宮の入り口です。
私の緊張感とは裏腹に、この日の石上神宮は不思議なくらいに、どこも光に満ちていました。
現地で私の目に映った映像も、後から見返した撮影画像からも、
石上神宮自体がまぶしいほどの光に満ち溢れていたのがよくわかりました。
この地はとても不思議な場所でした。
物部の聖地となりますが、出雲のエネルギーがあちらこちらに輝いています。
歴史や術が何層にも折り重なって、閉じ込め塗りこめられた複雑なエネルギーの形態が伺えるこの境内に、
出雲のエネルギーが、まるで散りばめられた宝石のようにあちらこちらに顔をのぞかせ、煌めいているのでした。
私がこの日こちらに出向かせて頂くという情報はすでに皆に共有されていたようで、
境内の木々たちが私を昔の名前で呼びながら、話しかけてきます。
どこにいってもこうした精霊たちがいてくれることは、この地球上で、私にとってとてもうれしくありがたく、かけがえのない幸福なことでした。
〇〇、よくきたね、
怖かったでしょう、
来てみたら平気であったでしょう、
さあ開きましょう、
貴方にしかできないことをするのです、
私たちの準備はできています、
さあ、先へ、
本殿へ行くのです
神宮の自然たちからさらに追加の情報を頂きながら、
皆のエネルギーの集約する本殿へと足を速めます。
皆が本殿へ早く行くように後押ししてくれます。
到着早々もう仕事が始まるのかと、
いつもながらいささかこの早い流れに戸惑いながらも、
すでにひっくり返りそうなほどにMAXになっていた自分の緊張のテンションを、早く収束させたい気持ちにもなっていました。
そして何故こんなにも緊張して身体が固まっているのか、
その理由は本殿でわかることになりました。
重要文化財である、荘厳な楼門に到着しました。
艶やかな朱塗りと重厚な佇まいが歴史を感じさせてくれます。
空は抜けるように晴れているのに、境内は相変わらず光の煙に曇っていて、どこを見ても景色がぼんやりと光でにじんで見えます。
コンタクトレンズを落としてしまったのかと何度も思ったほどです。
楼門をくぐると正面には国宝の拝殿が聳えていました。
拝殿は平安から鎌倉にかけての造営であるということで、大変古い、こちらも荘厳な建築物です。
この拝殿の奥には本殿が建っているのですが、この本殿は実は後世になってから建てられたもので、
実はもともと石上神宮には歴史的に本殿というものがなく、
禁足地としての神域、つまり土地そのものが、本殿としてずっと祀られていたのです。
その地に埋められているという御神体である剣が、ついに明治時代に掘り起こされその実在が明らかとなり、あらためてご神体をお祀りする本殿が建築されることになって、今の本殿となっています。
呪術に長けるという物部らしい歴史です。
拝殿の後ろに少しだけ観えているのが今の本殿です。
こちらにお祀りされている石上神宮の御祀神は、
主祭神が「布都御魂大神」(フツノミタマノオオカミ)となっており、「布都御魂剣」(フツノミタマノツルギ)に宿る神霊とされています。
さらに配神は「十種神宝」(トクサノカンダカラ)に宿る神霊とされる「布留御魂大神」(フルノミタマノオオカミ)、
「天羽々斬剣」(アメノハバキリノツルギ)に宿る神霊であるという「布都斯魂大神」(フツシミタマノオオカミ)となっています。
これらの祀神は、全てご神体とされる剣や神宝に宿る神霊とされており、石上神宮の呪術的要素を高めています。
緑の格子の向こうに本殿と禁足地がわずかに垣間見えます。
石上神宮の呪術。
それは物部王朝の最盛期を司る、不可欠なサイキック要素でありました。
物部が物部たる、兵力とまじないを我が物にした当時の物部の結論的真髄の全てでした。
渡来のままではなく、
日本古来というものでもなく、
研究と経験と歴史の上に生み出された、古代物部氏の叡智の集約でした。
呪術は形式上の神事でも神楽でもなく、
その真髄は隠され秘められ、他氏族を経由し、
その目的に向けて、徹底的に継がれ続けているのでした。
こちらの拝殿にて私がお会いさせて頂いたのは、当たり前ですが、やはり物部の方でした。
不思議なことにその方は仮面をつけた姿で私の前に現れました。
私は極度の緊張感や緊迫感を感じていながらも、
そんな姿で現れる方というのはこれまで皆無であったものですから、一体何の冗談かと最初は拍子抜けに思ったものです。
私が何かを間違えてしまったのかなと思って、一度その場を離れてしまったくらいでした。
ですが、どこへ行っても、全ての方々が私に本殿へ戻れと言います。
ですから私は気持ちを整えて再度楼門をくぐり、またこの拝殿の前へと再びやってきたのでした。
そして再び、先ほどの仮面の方と対峙することになりました。
相も変わらずその方は同じ仮面をつけて私の前に現れます。
私は勇気を出して、貴方は誰ですか、と問いましたが、
その方は自分の名を名乗ってはくれませんでした。
そして代わりに、
「よく来た〇〇」と、
過去世の私の名前を呼んだのでした。
その時私にはわかったのです。
私はその方を知っていました。
過去世を通してこれまで、その方に再会することを、私が望んだことはきっとなかったであろうと思う方です。
この方によって私の人生は奪われることになりましたから、
当時の私にとって、この方の存在は敵であったといえるかもしれません。
突然の対面ではありましたが、
この日にこんな再会があるということを、私はここに来る前からすでに知っていたようにも思いました。
だからこんなにも、全身の毛が逆立つほどに私はこの日緊張していたのかもしれません。
私たちは無言のまましばらく向き合っていました。
どれくらいの時間が流れたのか、よくわかりませんでした。
次第に、その方が仮面をつけて顔を見せないでいるのは私への配慮であり、また自分の表情を見せないためでもあるのだ、ということが伝わってきました。
その方の顔は隠れていましたが、
ある時静かに光の玉が落ちていくのがわかりました。
その方は泣いていたのかもしれません。
積年の悔いる想いを抱え、この場に長い間いらっしゃったのだということが、
その瞬間に全てわかったのでした。
私はといえば、この対峙によって、私の中から何か押し留めていた強い感情があふれ出す、というようなことは起きませんでした。
もちろん言葉にできない感覚がひろがり、時折りハートが鋭く痛みましたが、
恨みや憎しみ、責める心や悲しみなどは、ほとんど湧いてくることはなかったのです。
私は知っていたのでした。
私たちの展開は、
どんなに悲しく非道なものであったとしても、
それが最も順調で最善な展開であったのだということを。
私たちはあの時、すでに今回の対峙の瞬間さえ知っていて、
全てが行われていったのでした。
私たちにとっては、あの時も今この時も、古代も現代も、
アセンションという目的しかなかったのです。
私はこの不思議で順運な巡り合わせのまま、
今回は何とその方にサポートを受けさせて頂いて、
この本殿にてお仕事を遂行させて頂きました。
熱田神宮にてお預かりしたものを、
この方に手引きしてもらって、本殿にて一時お納めさせて頂き、
その力によってこちらの古い呪いを解き、
共に新しい虹のご本物なるもの、装置であり正体となるものを、
新たに創造構築させて頂きました。
折り重なる歴史をひとつに開き合わせ、
呪いも力も祈りも思惑も画策も裏切りも征服も、
全て解き放ち、
それらはただ虹のワンネスの光となって、
石上神宮を虹色に染め上げていくのでした。
尾張が手放し私に託したのも、
この方とまさかの共同作業となったのも、
この地が虹の光に満ちていく様を眺めながら、
全てはアセンションのために、
という光の願いのもとに集約されていくのだと、あらためて思い知らしめられ、
やはり泣いてしまった私だったのでした。
ふるべゆらゆら。
その時聞こえてきたこの不思議な物部の呪文は、
はじめて私にとっての真実の意味を成して、私の身体に魂に鳴り響いたのでした。
そしてすべきことを終え、熱田からお預かりしたものを回収させて頂くと、
全く別のもののようにそのものの色がすっかり変わっていて、とても驚きました。
ここで使わせて頂いたことによって、この神宝自体も変化と循環の効果を得られたのだということでした。
何だかドラゴンクエストか何かのRPGの冒険の旅みたいですねと思いながら、
まだ次に届ける行き先がいくつもあることがわかっていたので、早々に大切に私の中に保持し直させて頂き、拝殿前を後にしました。
続いてこの日は、この石上神宮において神宮本殿でのお仕事とは別に、
本殿の境内を見下ろすようにして高台に鎮座している、出雲の摂社にてのお仕事もありました。
楼門の向かいにある石段を登ると、
出雲建雄神社という神社を中心に、出雲の神々が祀られている摂社が並ぶ神域が現れます。
この出雲建雄神社の出雲建雄、という人物は出雲の系図には出て来ず、出雲の神々の中にもいらっしゃらないので、これはこちらでの出雲の諸々の総称としているところがある、ということで、
私がこちらのお社で実際にお会いさせて頂いたのもやはり出雲建雄なる方ではなく、
出雲の女神である幸姫命でありました。
猿田彦命もお隣にいらっしゃり、その他の神々も含め、まさしく出雲の神々の面々がそろって出迎えてくれました。
明らかにエネルギーがこの高台の神域だけ大きく異なっており、
結界も当たり前に張られていましたから、
このエリアだけが別空間として区切られ切り取られ、まるで出雲の王都、もしくは神殿のように存在していたのでした。
そもそもこの地は物部の聖地となる前には出雲の地で在りましたから、
こうして当時の出雲の聖地の一部が残っているのは当たり前といえば当たり前であるのですが、
出雲の神々がこの地に共にずっとあられたことが、その歴史の流れを観るにつけ、
とても嬉しくありがたく思えるのでした。
実は神宮本殿での一連のお仕事の最中に、一度その場を離れてこちらに来させて頂いていましたので、
神宮でのお仕事を無事に遂行できるように、こちらの出雲の神々から色々なサポートを頂かせて頂いていました。
その時はまだ仮面の方ともう一度対峙する準備が出来ていなかった私を、幸姫命は大きく助けてくださり、
その他様々な情報、エネルギー的サポートをも、他の方から頂かせて頂きました。
私は熱田からお預かりしたものを正直まだこの時点では持て余していましたので、
これをこの神宮でどのように扱えばいいのかこの期に及んでよくわかっていなかったのですが、
そのあたりについても、徐福に加えて、この出雲の神々からご教授頂けたのでした。
こうして出雲の神々からの導きやサポートによって、私の中にこれから担う未知のお仕事への安心と確信を確立することが出来、
昨年の秋分に行わせて頂きました、等彌神社での儀式を思い出し、
出雲の方々との深いつながりと、時を経て受けさせて頂いている愛と導きに、本当に感謝と敬意で胸が熱くなりました。
等彌神社 10/20/2024
そしてこの高台の摂社群の中には、最も左手に天神社が鎮座されているのですが、
こちらの神社がまた不思議なほどに発光されており、
私も最後に吸い寄せられるようにして、この天神社に向かわせて頂いたのでした。
こちらの天神社の御祀神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二柱ですが、
こちらで私がお会いさせて頂きましたのは、五十猛でありました。
香語山ではなく五十猛としてお会いさせて頂き、
こちらにて、この摂社が海部と尾張の神社として祀られていることを知り、
海部のこの地での存在感について強く感じるとともに、また海部の大和での深い役割について、あらためて教えて頂く機会ともなりました。
古代氏族たちの深い関係性とそのバランス、調和、それぞれが目指すもの、発揮するもの、
それらの集合的な象徴的残像が、この石上神宮の地には確かに残されていたのでした。
ですから、物部の聖地となった後も、
これらの出雲を中心とした摂社群は、ここに残されていたのです。
そうして私はこちらの高台の聖地で皆様から多くのサポートと情報を頂き、
その上で私の担う役割というものに再度覚悟を保ち直させて頂くと、
こちらで私が行える内容、私が行わなくてはならないお仕事を、
彼らの光の中で、
粛々と行わせて頂いたのでした。
こうして石上神宮でのお仕事を全て終了させて頂いた私は、
神宮から続いている山の辺の道へと入り、次の目的地へと歩を進めさせて頂きました。
奈良に来るたびに歩かせて頂いているこの古の道、山の辺の道ですが、
北端はこの石上神宮に行き着くのです。
いつもは南の桜井市側の山の辺の道を歩き回っていた私でしたが、
この日は道の最北端からはじめて歩き出すことが出来、ちょっと心が躍りました。
私はこの山の辺の道が、とても大好きなのです。
石上神宮の近辺には白山神社がいくつかありました。
白山神社は今後行う予定の新しい依頼に関係がある神社でしたので、出向かせて頂きました。
こちらでも菊理姫命にお会いさせて頂きました。
奈良にもやはり遥か古代から越智村があったことについて、今後のお仕事のためにお話を聞かせて頂き、
そしてこちらで私のできることをさせて頂きました。
そしてその後もいくつかの目的地へと、引き続き山の辺の道を使って向かいました。
途中見事に道を間違えて、
道なき道を進むこともありましたが、何とか目的地へ不思議と到達できました(;'∀')
マップにもない獣道みたいな藪の中の道を進んでいったら、何故か突然車の通る大通りに出ることができて助かりました(;'∀')
実は近道となってくれたのかしら…
とポジティブにとらえて失敗をごまかします。
きっともう二度とこの道には行けない気がします。
こうして無事に行き着くことが出来たのがこの夜都岐神社です。
こちらの素盞鳴神社では、あらためて御祀神として徐福にお会いさせて頂きました。
予定外の内容となった大和神社では、事代主命よりさらに導きを頂かせて頂きました。
大きな龍から鱗と雫を頂かせて頂いた、こちらの高龗神社が今回の旅の最後となりました。
今回も様々なところで多くの叡智を頂くことができましたので、
皆様にワークとして還元したいなあと思うのですが、
なんとも活用したい叡智と創りたいワークが多すぎて、一度ワークのお祭りでもしないと追いつかないなあという感じとなっています(;'∀')
ともかくまたワークとして皆様に還元させて頂きたいと思っていますので、どうぞお待ちくださいね。
今回の旅で私はまたいろいろなことを学ばせて頂きました。
ライトワークの旅というのは、たった1日で非常に多くの学びと大きな成長をいつの間にか果たすことができますので、
まるでタイムトラベルをしたような感覚で帰宅することになります。
そして本当に多くのまぶしい思い出を手にすることができるのです。
今回石上神宮が肉眼でも充分にわかるくらいに光にあふれていたことが本当に不思議で美しく、印象的でした。
それは時代と次元の確実な変化を確かに感じさせてくれ、示してくれていました。
そしてこの光のお仕事の尊さを、
この石上神宮の光の霧の中で、
存分に味わい皆と共に果たさせて頂くことができ、
自らのこの生を切実に実感できると同時に、
自らが放つこのとめられない光をさらに強めることができ、
気づけば全てが光に満ちている、
その光は虹の光となって、
ただただその場で上昇を体現していくのだと、
今回の春分でその奇跡の始終を垣間知ることができたのでした。
0コメント