千葉・麻賀多神社ライトワーク~私の秘密の開示~
皆様、こんばんは☆
ミドリです。
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今回はつい先日の秋分に出向きました、千葉の麻賀多神社での現地ライトワークについて、一斉イベントのブログ記事内では記し切れませんでしたので、あらためてご報告させて頂きます。
こちらを読まれることで、皆様もさらに受け取れることがあるかもしれませんので、宜しくお願い致します。
☆秋分の一斉イベントについてはこちらから★
この日は大雨の一日となり、神社近くの印旛沼が決壊して被害が出ているというニュースを帰宅してから知りました。
身近な場所になってしまったので、すぐ近所のことのような気がして、その後も動向を見守っています。
今もできることをさせて頂いております。
当日も途中で何度も土砂降りの雨に振られ、雨の重みを感じた秋分の日となりました。
そしてこの日は、目的の神社にたどり着くのがとても大変でした。
それでは到着までのいきさつから、早速お伝えさせて頂きますね。
私はまずこの日の朝、現地ライトワークの日にはじめての寝坊をしてしまったんですね(;'∀')
といっても1時間くらいなのですが、そのため予定していた電車の時間が変わりました。
いつも現地ライトワークの日というのは、前日寝てようが寝ていまいが、疲れていても元気であっても、自分のコンディションには全く関係なく、
必要な時間に自動的に必ず起きて目的地へ向かうのがこれまでのデフォルトでしたので、この日はスタートから微妙な一日となりました。
とはいえ目的地は千葉ですから、新幹線の予約があるわけでもなく何も問題はないのですが、
千葉への旅は在来線の普通列車を細かく乗り継いでいくので、意外に時間がかかるのです。
案の定その日はどうにもいちいち乗り継ぎが上手くいかず、細かく電車が遅れたりして何度も足止めされながらの、長い電車旅となりました。
また朝からあいにくの大雨でもありましたから、私は寝坊した自分にがっかりしながら、激しく雨の打ち付ける窓を見て、何だかこの日は一筋縄ではいかない予感がしたのでした。
そしてその予感は的中し、乗り換え最後の電車に乗ってようやくあと数駅で到着、というところで、突然事故が発生し、次の駅で私は電車から降ろされることになってしまったのでした。
復旧も時間がかかりいつになるかわからないとのこと。
他に通っている線はありません。
う、嘘でしょ~(;'∀')と、私は一気に途方に暮れてしまいました。
タクシーに乗ろうにも、タクシー乗り場にはすでに、電車の不通で成田空港へ向かえなくなってしまった人たちの長蛇の列が…
しかも土地柄タクシーの台数が少ないそうで、配車アプリも意味がなく、順番を待つしか方法がないということでした。
目的地の神社へ頑張って歩こうにも、まともに歩くと2時間以上かかる遠い距離。
それでも何とか歩いて到着できたとしても、その後の行程に時間が全然まにあいません。
バスもなければレンタサイクルもなく、しかもその時には雨が面白いくらいにちょうど土砂降りとなってきてしまい、
まさに絶体絶命でした(;'∀')
いくらこの日の内容に対して私の中に抵抗があるからと言って、
これはもう今日はたどり着くのは不可能なのでは…とさすがの私も一瞬怯んでしまいました。
しかし、いつどんな時も光が湧いてしまう、実は超ポジティブな私(笑)、
この駅で降りなくてはいけない何か意味があるのではないかとすぐに思いなおしたのです。
この日のライトワークは、目的地である台方の本宮と船形の奥宮の2つの麻賀多神社に行かなくては為し得ることができない内容でしたので、何とかそれらの地にたどり着く方法を見つけることが本来であればその時の最重要事項だったのですが、
ともかくこの駅周辺で私が行くべきところがあるのばならまず行ってみよう、と半ば開き直るように思ったのでした。
実はこの辺り一帯の地域に、麻賀多神社という名前の神社は何と18社もあるのです。
麻賀多神社は全国でもこの印旛沼付近のエリアにしか存在せず、この一帯は独特の文化を古来から形成してきた地域であったのでした。
またこの辺りは遺跡も複数発掘されており、はるか旧石器時代からずっと人々が暮らしを営んできた、歴史のある場所でありました。
その後応神天皇の時代に、初の国造として派遣された「伊都許利命」が、この地域を中央政権とつながってはじめて開拓するに至り、そこから伊都許利命の一族、「多氏」の統治する地域となったようでした。
多氏というのは神八井耳命を祖とする日本最古の皇別氏族であり、大和朝廷の初期の祭祀を司っていた、大変サイキックな力を有した出雲系氏族です。
この多氏出身の初代印波国造、伊都許利命が、最初の麻賀多神社、この日の目的地となる船形の奥宮を創建したのでした。
そしてその後伊都許利命の子孫が、さらに台方の本宮を建てることになっていきます。
…ということで、そこから印波国の発展と共に麻賀多神社はどんどん増えていき、この地域には今も限定的に麻賀多神社が密集しているのでした。
ただ神社の名前や御祀神の由来、なぜ多氏が統治することになったのか、などなど不明点も多く、さらには近代になって日月神示も現れ、いまだ謎めいた神社となっているのです。
私が急遽降り立つことになった駅の周辺にも、やはり麻賀多神社が複数ありました。
おそらくそのどれかに行く必要があるのだろうと解釈した私は、
自分が降りた出口から最も近い麻賀多神社へと行ってみることにしたのです。
ざばざばと雨道をさばきながら10分程歩いていくと、 住宅街の中にだんだんと森のような景色が現れてきました。
さらに進むと、左手に広がる森の中に神社の入り口が現れました。
八幡神社?
麻賀多神社へ到着する前に、小さな八幡神社に行き着くことになったようでした。
こちらは正式には山崎八幡神社という名前でした。
創建は不明で、明治維新後は旧山崎村の鎮守産土神として、村の信仰を集めていたということです。
ここで八幡神社とは…
この導きはやはり意味があると確信し、もちろん立ち寄らせて頂くことにしました。
それにしてもまるでここだけ時代が遡ったかのような、異世界の森でした。
この場所だけ古代より時間が止まっているようで、
漂う神秘的なエネルギーに何て不思議な場所だろうと驚いていたら、
実際に時が止まっていることがわかりました。
この森だけ特別に保存されているかのように突然住宅街の中に残っているのは、
結界を張り実際に保存されていたからであったのでした。
とても周囲と馴染みの良い、それでいて壊れにくい、高度な結界でした。
なぜ時が止められているのか、
そして誰が行ったのか、
不可思議な参道は、異空間のトンネルを進んでいるかのように私をその神秘さで包み、本殿へといざなうのでした。
木々が伸ばす枝葉のアーチのおかげで、雨がほとんど落ちてきません。
私は強い引力のままに、一礼もそこそこに鳥居をくぐることになりました。
八幡神社には通常、応神天皇、誉田別命がお祀りされているはずですが、
こちらの本殿には応神ではなく、私のことををずっと待っていた方がいらっしゃったのです。
過去世の私の一族は応神と血縁がありましたので、
八幡というのは、実は過去世の私の氏族と縁深い神社であったのです。
とはいっても八幡神社が建てられ始めたのは過去世の私が命を失ってからずっと後の時代ですから、私自身は直接のかかわりが八幡神社にはないのですが、
たまに今世において、八幡神社にて、当時の親族や関りのあった巫女などと再会させて頂く機会を持たせて頂いていました。
ですからここに八幡神社が鎮座しているということは私にとって意味のあることであり、
さらにこの神社は私個人に強い由縁を有した神社だったのです。
八幡神社という構えでさえ、ダミーであるがごとくに。
社殿には、この神社が創建された時からこの場所で私を待たれていた、ひとりの巫女の女性がいらっしゃいました。
待っていました
待っていました
そう何度も告げられました。
私をですか?
という私の驚きに、
そうです、
〇〇様をずっとお待ち申し上げていたのです、
と彼女は深くうなずきながら、涙をにじませてそう言うのでした。
これ以上の事情はここでは記載できませんが、
私は今世この地に来ることになっていたのでした。
さらには、この何も祀られていない小さな小さな八幡神社に、
古代巫女の私の分魂を、祀神としてお祀りすることになったのです。
それには多少の戸惑いがありましたが、
すでに以前に伊勢の別宮で行わせて頂いた経験があるのと、
私のことをこの時のために、長い長い間待ってくれていたこの尊い巫女のためにも、
そのお役目をすぐにお受けすることにしたのです。
一度経験しているため、特に難しいお仕事ではなく、
粛々と遂行させて頂くことができました。
待ち続けてくれていた巫女はこの瞬間を大変に喜び、
役目を果たすことができたからか、
次の瞬間にはあっという間に跡形もなく消えてしまいました。
分けて別に残すことになった自分の魂と、
役目を終えて消滅してしまった巫女。
私を起点として大きな2つのことが起きました。
無事にお仕事を完遂できたというのに、
自分の重さを感じる時、あまり喜びが湧かないのは、私がまだ未熟だからかもしれません。
こうして導かれるままに全てを終え、元の道をまた歩き出すと、
すぐに今度は右手に別の神社が現れました。
こちらが急遽向かうことになった、岩名麻賀多神社です。
玉砂利が敷かれることもなく、でこぼこした未舗装の土の参道が続いています。
この岩名麻賀多神社も、古代のままの形状をそのまま残しているような、美しくて懐かしい神社でした。
やはりこちらも結界によって保存されていましたが、
さらにこちらの神社は境内の先に、関東地方で最古とされる弥生時代中期の重要な遺跡、岩名天神前遺跡が隣接していたのでした。
この辺りの土地というのは、現代の生活と古代の遺跡が今も共存し、遺跡や神社と一体化するようにして護ってこられ、また地域が実は様々なお役目をも自然に果たしてきていた、意義深い場所であるのだということを知りました。
雨でぬかるんだ土の参道を歩くのは不思議と心地よく、スニーカーの底から伝わる土の感覚に心が弾みました。
参道の木のアーチを抜けて鳥居をくぐると、
こちらの本殿にもやはり、私のことを待ち構えている存在たちがいらっしゃったのでした。
狭い境内はカプセルのようになっていて、空間がゆがむようなエネルギーに満ちていました。
鳥居の先に足を踏み入れると、くらっとするような眩暈に一瞬襲われたほどです。
本殿には、多氏の方々がいらっしゃいました。
多氏の方々は特徴的な装束に身を包み、いかにも能力集団のようでした。
これら多氏の方々は御祀神としていらっしゃるのではなく、
やはりお役目を果たすべくこちらにずっといらっしゃったということで、
その目的はここでも、私を迎えることであったのです。
貴方をずっとお待ちしていました
必ずお会いできると信じていました
そう彼らは私に口々にお伝えくださいました。
そして、一人の長老のような方が、
私たちから貴方に御渡しするものがあるのです
そう言って私に大切に両手で差し出してくださったものは、
多氏の勾玉と剣、そして多氏のまじないの玉でありました。
これを持ってどうか麻賀多神社の本宮と奥宮へ行ってください
これを持っていかないと意味がないのです
と私にこれらのものを授けてくださったのです。
多氏の方々は、私が今世ここに来ることがわかっていたのでした。
そして誉田別命、応神も当時それがわかっていたのです。
というか、この地に私が来ることは、すでに古代から決まっていたのです。
私はその導きのままにこの土地に足を運び、
そして台方の本宮と船形の奥宮へ向かう前に、先にこちらの岩名麻賀多神社にて受け取らなければならなかったのです。
やはりハプニングはハプニングではなかった、
電車が止まったのは、
もしくは止まる電車に乗ることになったのは、
導かれていたのです。
ただいつも思うのは、やり方が少々荒いというか(笑)、
いつかの奈良の時も、朝から現地でスニーカーの両底が抜けてしまうというハプニングがありましたが、あの時もそういえばとても大変な思いをして目的を達成することになりましたが、
あれも導きであったのでした(;'∀')
そこまでしなくても、
今回も先に言ってくれれば、普通に自分でこちらに来たんだけど…、と思うところではあるのですが、
ともかく来るべくしてやってくることになった、
岩名麻賀多神社であり、そして山崎八幡神社であったのでした。
多氏の方々は私にこれらのものを授けるという役目を終えると、
満足したように揃って一礼され、やはり巫女と同じく、跡形もなく消滅していきました。
こうしてようやく出会えた、大変能力の高い尊敬すべきこれらの方々に、
私は本当はもっときちんと御礼を伝えたかったし、聞きたいこともたくさんあったのに、
あっという間に姿を失ってしまって、
残された私はより孤独が増したような寂しさを覚えながら、
託されたものの重さを抱きしめて、ひとりこの地を後にしたのでした。
さて、変わらず激しく雨が降り続く中、先ほど来た道を駅へとまた戻っていきました。
体感は悠久でしたが、時間にして数十分程度の滞在でしたので、
電車の状況はまだ変わっていないだろうから、次は駅の反対側の麻賀多神社をまわろうかな、と思いながら駅に到着すると、
不思議なことにあんなに長蛇の列だった駅前のタクシー乗り場に、人が一人もいなかったのです。
まさか…、と期待して駅へと階段を急いで上がると、なんと電車が復旧していました。
早!
思わず口に出してしまったくらい、あっという間に電車が動いていたのでした。
さっきはとても深刻そうな顔で、「復旧に何時間かかるかわかりません」と言っていた駅員さんが、「ハイ、もうすっかり問題なく動いていますよ♬」、と打って変わって笑顔で言っていて驚きました。
事故の詳細は分かりませんが、この足止めは本当に私の行き先を変えるために起きたんだと思いました。
ともかく空港へ向かう方々が無事に電車に乗れることになって、よかったです。
そして私も無事に電車に乗り、ようやく目的の台方の麻賀多神社本宮へと向かうことができたのでした。
こちらが台方の麻賀多神社本宮です。
到着した駅からタクシーに乗って、やっと到着することができました。
タクシーを降りると、いつの間にか雨が止んでいました。
私は一礼をして、ゆっくりと境内の中へと進んでいきました。
しっとりと雨に濡れた境内が美しい静寂の中に佇んでいて、
とても心が落ち着く空間を醸し出していました。
逆を言えば、特に何もない、普通の美しい神社でした。
あれ、本当にここに来てよかったのかな…?
と思ってしまうほど、何の導きもなければ、誰もいませんでした。
どういうことだろうと不思議に思いながら、歩を先へと進めていきました。
大雨のせいか、参拝客もほぼいませんでした。
それでも秋分の日なので一応人出を覚悟してきたのですが、貸し切り状態でした。
本殿です。
本殿ではようやく伊都許利命さんが現れてくださり、お話を伺うことができました。
またこちらで新たな多氏の方々に次々と出会わせて頂き、
皆さんから奥宮へ必ず向かうようにと伝えられたのでした。
このように、私のことを待ち構えていた一族の方々に次々と対応して頂き、導かれていく流れは、以前熱田神宮で尾張の方々に出迎えられて導かれるままに進み、受けることが決まっていた授受を受けさせて頂くことになった、あの時ととても似ていました。
そして多氏の方から、この麻賀多神社にはいくつもの仕掛けがしてあるということを知らされたのでした。
麻賀多神社という名前から伊都許利命という名前、御祀神、言い伝え、天日津久神社、杉の木、等々、それらには、私にはわかる暗示、私へのメッセージが、実は仕込まれていたのです。
それらが次第にひも解けて来た時、
私は背筋がヒヤッとするような驚きと、全てが一致していく衝撃に襲われました。
本当に本当に私はここに来なければいけなかったのだということが、この奥宮にきてはじめて、身が竦むほどに思い知らされたのでした。
そしてこちらの台方本宮の麻賀多神社には、本殿の裏手に天日津久神社という有名な摂社があります。
岡本天明という方が日月神示という予言書のようなものを自動書記で降ろされのたがこの神社であるのですが、
今回の私のライトワークにはこの日月神示というものは全く関係がありません。
こちらが天日津久神社です。
こちらにも創建時から私にとっての意義と意味が秘められていました。
そして神社の左手奥には、何と東日本一といわれる、樹齢1300年以上の大杉がありました。
この東日本一の大杉は、この神社が創建された時に植樹されたものであるということで、
神社と共に長い月日を超えてきたご神木です。
高さが40mもあり、目を凝らしても先端が見えませんでした。
本当にものすごく大きな杉です。
この杉のお爺さんは意外にも私に気さくに話しかけてきてくれました。
杉爺は、自分の姿を見ればいかに長い間この神社が役目を果たしてきたかわかるだろう、ということをおっしゃっていました。
その生きた証が私なのだと、杉爺は言うのでした。
こちらの本宮にて、
私は自分という存在が、どうしても今世この麻賀多神社に来なくてはならなかったこと、
何としても私がここ来るようにそして気づくように、神社自体に多くの導きが施されていたことに、
あちらこちらで気づかされることになりました。
そんなまさかという思いと、
気づけば気づくほど私が身につまされることが浮かび上がってくるその仕掛けの数々に、
混乱と確信に揺れながら、私は境内を彷徨うように歩き回りました。
〇〇、貴方が次の世にまた生まれてくるその時まで、何としても崩れない場所とメッセージを残すことに、私たちはとても苦心したのです
次の世に生まれなおした〇〇はきっと疑い深くなっているだろう、
そしてきっと生きるのに必死なはずだ、
そんな〇〇でも必ず気づけるように、
私たちは仕掛けやしるしを残したのです
こちらの本宮では特にしるしに力を入れたのです
というよりも、ここはそのために創建したのだと言っても、差し支えないのです
伊都許利命はそういうのでした。
本宮での全てを終え、最後の奥宮麻賀多神社へと歩いて向かいます。
奥宮への道順は看板が要所要所に立っているので間違えることはありませんでしたが、
意外と距離があり、約20分、のどかながらも何だかこちらも不思議な道程でありました。
トンネルをくぐって…
上り坂を頑張って上っていくと、
ついに到着しました。
船形の奥宮、麻賀多神社です。
鳥居をくぐると、すぐ右手には伊都許利命の古墳があったのでした。
伊都許利命さんとは本宮でもお話をさせて頂いたのですが、
こちらの墳墓前にて、正式にご挨拶をさせて頂きました。
やっとお会いできましたね
そう私が伝えさせて頂くと、
ずっとお待ちしておりました
と、伊都許利命は慈愛にさえ満ちた表情で、しみじみとおっしゃるのでした。
こちらでもさらに深いお話をさせて頂き、その中で伊都許利命は、
私の名前は、実は伊都許利ではないのですよ
そう微笑んでおっしゃったのでした。
すでに伊都許利命の名前の仕掛けに気づいていた私は胸がいっぱいになって、
気づくことができて本当によかったです
とだけ伝えることができました。
彼らの苦心の数々に、長い長い時を経て護られしっかりと残って私に届いた、全ての尊い仕掛けの数々に。
すると伊都許利命は、感慨深そうにして目を細めると、深々と私に一礼をしてくださったのでした。
本当によくおいでくださいました
私は涙がこぼれないようにきつく目を閉じながら、
尽くしきれない思いを込めて、同じように深く頭を下げさせて頂いたのでした。
私たちは古代より、自分の果たす役目を、それぞれに全うし尽くして今にいたります。
その重みや尊さを言葉で表すことは難しく、
私たちは一礼に想いの全てを込めるしかなかったのでした。
伊都許利命のお墓を離れ、人気のない境内を本殿へと進みます。
本当に孤独なほどに、見事に誰もいない秋分の奥宮でありました。
さあいよいよ、本殿です。
ここは私が秋分祭祀を行い、
また今回の主たる目的である、自身の秘密の開示の儀式を行う場です。
私が知らない私の部分、
私の力だけではたどり着けない、
私の魂に宿る私の秘密を、今日開くのです。
まさか私のこの求めが、
多くの方々の手によって組み込まれていた流れでもあり、
長い長い時を経て多くの方々のサポートによって実現するものであったとは、
私はこの地に来るまで知る由もありませんでした。
そのこと自体が、すでに私が自分でたどり着けなかった秘密のひとつであったとも言える
しょう。
私の存在の意義を開く。
私は〇〇という名前の通り、〇〇の象徴となる存在である。
私は〇〇であり、ここで私の〇〇を開く。
奥宮の本殿では多氏のサポートを本格的に頂くことになりました。
というか、多氏に儀式を行ってもらうのでした。
私は、自分が主役のこの祭祀儀式で、
自分をただ預け、開示を施してもらうのでした。
これまでは全てのお仕事、祭祀儀式を自分の手で行わせて頂いてきた私にとって、
これはある意味で初めての経験となりました。
ただ、私では開けない。
今回は私には私の秘密に辿り着けない。
それはよくよくわかっていたので、
絶対に私にはできないので、
多氏が登場してくれるのです。
そして本当には、多氏がこの時私を開示することは、もう古代から決まっていたのです。
本殿の前に立つと、
天からエネルギーがまっすぐに降りて来て、私を一気に劈きました。
全ては〇〇をこの時に開くため。
そうして、中心を貫かれた私の中から私が開かれていきました。
止んでいた雨がまた降り出しました。
傘をさすこともできない私の身体を、大粒の雨が打ち付けていきます。
まるで脱皮の瞬間のように、何ともすごい状態になっている私の前に、
いよいよ多氏の方々が姿を現してくれました。
多氏の方々は全てをわかってくれていて、また大変高度な力を持った方々であるのがすぐにわかりますから、
私はその時とても安心することができました。
そしてそこで多氏の方々に、岩名麻賀多神社で授けて頂いた勾玉と剣を献上させて頂きました。
すると彼らは私にその勾玉を握らせ、
その剣を抜くと私に向けて構えたのです。
驚く間もなく、次の瞬間にはその剣を振り下ろし、私を貫いていました。
そして間髪入れずに同じ剣で幾度も私を切り貫き、
そのたびに新しい私が、切り開かれ、生み出されていったのでした。
次々と開かれていく私のめくるめく情報やエネルギー、そして脱いだ私自身を、多氏の方々は私がにぎりしめている勾玉にどんどん投入していきました。
そしてその勾玉を今度は私の中に入れたのでした。
最初は私のハートに入れてくれたのですが、
私が虚ろながらも違和感を感じて、無意識に自分で取り出してハイハートに入れなおしてしまいましたので、
貴方はスターシードだから、そっちの方がいいだろう
と多氏の方々はおっしゃって、私のハイハートチャクラに入った勾玉に手をかざし定着させた後、さらに活性し整えてくれたのでした。
こうして私は、
私に宿る新しい出自、というか、
新しい存在の意義、その秘密を、
明確に自分に開示することができたのでした。
ひとつだけ具体的にお伝え出来るとすれば、私が豊かさそのものとなったことです。
皆の豊かさの源であり結果となり、
私がすることは全てこの世界の豊かさとなり、
私がいる場所触れるものは全て豊かになる、
そんな豊かさのシンボルというか、
それもただの象徴というだけではなく豊かさを現実化するしるしであり、
豊かさの塊、魂そのもののような、
そんな存在へと覚醒することになったのでした。
遠い意識の中で、されるがままになりながら、
自分の秘密の開示のあらましを自分で見届けることができた私は、
だから私は人様にこんなに施術をさせて頂ける役割を頂いているのだなあと、
身体の隅の方で、しみじみと感じ入ったのでした。
この最中は自分が大きく覚醒してしまったばかりで、
身体のどこに心があってどこで何を感じてどこで表現するのかよくわからないおかしな状態でした。
指先で心を感じたり、息を頭でしていたりとしていたので、私はいったい大丈夫なのかしらとその時は少し疑問でしたが、
だんだんと、これは私の身体中が全ての役割を全てで果たせるように、全てがそのように新しく変化したということなのだ、
ということが理解できていったのでした。
これからは、実は私はもう存在するだけでいいのだと、
多氏の方々からご教示頂いたのですが、
それでも私はこれからまたこの新しい私で、お仕事に邁進していくことになるのだろうと、ぼんやりと思いました。
もちろんそれを多氏の方々もわかっていたでしょう。
この秋分からの新しい時代の未来には、これくらいの生まれ変わりが必要であり、
そうでないと対応できないほどの新しい変化や新しい問題がきっと現れてくるのでしょう。
望みながらも昨日まであれだけ抵抗を示していた私自身も、
自分の中の秘密についに辿り着き、開き切ることができてしまいさえすれば、
雨の境内を歩いて帰る道中も、
これから私は新しくどんな貢献を叶えることになるのだろうと、
わくわくに満ちた現実感が湧いてくるのを、止められなくなっていったのでした。
すでにすっかり雨に濡れてしまったけれど、ようやく傘を差すことができた帰り道、
帰りの駅へ向かうのに、薄暗い夕空の下、知らない住宅街を長い時間歩き続けました。
それにしても多氏の方々は何と優秀な方々だったんだろうと今更ながら恐れ入ったり、
あんなすごい方々が現実にも存在していて、私の仕事を一緒にやってくれたらいいのになと夢想してみたり、
古代の過去世の時にお世話になった方々を久々懐かしく思い出してみたり、
新しく覚醒した自分にまだ馴染めなくて、時々足の運び方がおかしくなるのが面白くて、わざと階段を上って転びそうになってみたりと、
一人で遊びながら、そうして徐々にグラウンディングしながら、
東京の自宅へと帰路に着きました。
全てを記載できてはいないのですが、
この日、私自身に焦点を当てた秘密の開示の儀式は、このような感じで行われていきました。
もちろん秋分祭祀も滞りなく行わせて頂き、多氏の方にもご参加頂きました。
一斉イベントの祭祀儀式参加では、実際の全ての儀式に皆様を繋げさせて頂いており、
全てのものを共有させて頂いています。
もちろんだからと言って全てが皆様にとって必要な内容とは限りませんから、皆様はその中から、ご自身にとって必要なもの、有効なものを選択して受け取って頂いていることになります。
そして秋分の一斉イベントは全体的にこの現地ライトワークと連動して行ったイベントですから、
どのワークであってもご参加頂きました全ての方々に、現地からそれぞれにお届けできたものがあったはずです。
また今回の秋分の現地ライトワークの内容をこのご報告にて知って頂けたことで、
皆様もまたご自身のその後の変化について新しい何かが感じられたり、イベントでご自身が受け取られた内容に気づきが得られたりなどと、さらに受け取っていけるのではないかと思います。
実はこの後数日、私は自分の変化に対応しきれずに、闇を彷徨うことになりました。
身体の反応も複雑となり、ネガティブな時間を過ごしました。
今はもうすっかり抜け出して、変化をほぼ自分のものとできています。
それだけ大きな変化を遂げることとなったわけなのですが、
今思い出してもそれがあの千葉の地であったことに、とても不思議さを覚えています。
人生はどこに何が待ち構えているか、本当にわからないものです。
また今後、多氏から頂いたものを使って、皆様に新しく還元などができたらいいなと計画しています。
皆様はどんな秋分であったでしょうか。
そしてその秋分のその後もいかがお過ごしでしょうか。
この秋分のタイミングで、イベント参加に関わらず、これまでの自分では背負いきれなかったはずの自分の秘密というものが、ついに開示されていく過程を経た方が、実際多くいらしたのではないかと思っています。
秋分を起点としたこれからの新しい一年を、より自分に根差した新しい豊穣に溢れる年にしていきたいですね。
それではお読み頂き本当にありがとうございました。
又こうして私の現地ライトワークについて、皆様にご報告できたらいいなと思っています。
ありがとうございました♡♡♡
※朦朧とした意識でようやく帰宅した私を、この子のお出迎えが、私を一気に愛すべき日常に戻し、グラウンディングさせてくれたのでした♡
にゃーん。
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