京都・小野郷ライトワーク 瀬織津姫命の儀式
皆様、こんばんは☆
ミドリです。
今回はようやく、昨年末に出向いた小野郷でのライトワークについて、
皆様にご報告させて頂くことになりました。
早いものでもうあれからひとつき以上たつのですが、
何故か今お届けすることが最適であるということで、
このタイミングで皆さまにお届けさせて頂きますね。
この日は現地より女神の儀式のイベントも同時に行わせて頂きましたので、
ご参加頂きました方々は今のご自身の状態やこれまでなどをあわせて振り返りながら、読まれて頂ければ幸いです♡
昨年末にお仕事で急遽向かわせて頂きましたのは、京都の山間部、小野郷の地でした。
以前のブログでもお伝えさせて頂きましたが、
瀬織津姫命からのご依頼でこの地で儀式を行わせて頂きました。
その時のブログはこちら。
この日は他にも小野の地で複数の異なるお仕事をさせて頂いたのですが、
今回のブログではまず旅前半の岩戸落葉神社での儀式に関して、話せるところまでとはなりますが、ご報告させて頂きますね。
2023年12月27日。
この日もいつものように早朝から新幹線で京都へと向かいました。
京都に行くのは本当にとても久しぶりで、何と10代以来でしたので(;'∀')
ほとんど初めての京都旅行気分の私だったのでした♪
京都駅に到着後、早速バスに乗ります。
向かう先は小野郷の山の中、小さな小野集落にある神社になるので、
京都駅から1時間15分程のバス旅となりました。
市バスは雅な京都の街中を進み、有名な神社仏閣や観光地をどんどん通り過ぎていきます。
観光に走りたい煩悩と格闘しているうちに、次第に山道へと運ばれて行きました。
バスは山の中の曲がりくねった細い道を慣れたハイスピードで駆け抜けていきます。
少し怖かった…。
おびえながらも、山道を進む中、
小野の山にはいくつもの結界が張られているのがわかりました。
結界を超えていくたびに極まっていく世界。
さすが京都だなあ、すごい技術だなあと感嘆するとともに、
この小野の地というところがただの田舎ではなく、いかに聖地であるのかということが実感できました。
そしていつの間にか、小野氏の存在が私の守護とサポートに入ってくれていることに気づきました。
またこの小野の聖地には、
おそらくもともとそのような契約をされているのでしょう、
この地の中でのみ必要な働きを司っている高次元の存在がいくつかいらっしゃいました。
到着の頃にはバスの中ですっかりいつものように半トランス状態となっていた私は、
案の定、間違えて一つ手前のバス停で降りてしまいました(;'∀')
間違えたバス停(;'∀')
…せっかく間違えたので、この周辺を軽く散策させて頂きました。
おかげで美しい小野の山と小野の小さな集落の息吹、そしてこの地の存在からの様々な情報に触れさせて頂くことが出来ました。
時が止まったような美しい小野の自然の中、
自分の呼吸と鳶の鳴き声と、風の音だけが響きます。
歩きながら小野のエネルギーを身体いっぱいに取り込んでいると、
目的地の神社が見えてきました。
こちらが今回儀式を執り行わせて頂く、岩戸落葉神社です。
岩戸落葉神社は、創建は不明ですが1000年以上も昔からある古社であり、
岩戸社と落葉社の二社の合祀によって、さらにその歴史がわかりづらくなっているところがあるようです。
もともと岩戸社は小野上村の氏神、落葉社は小野下村の氏神であるので、
合祀によって今は小野村の総氏神として村の中心を担う神社となっています。
またこちらの神社は、最近では紅葉で有名な神社であるそうで、
秋には一面に美しい黄色の景色が見事に広がるようです。
秋にも来てみたかったけれど、
凛とした神聖な冷気に冬枯れた枝が繊細に映えて、
真冬の落葉神社は本当に何ともとても美しかったです。
観光シーズンオフのせいか、
儀式の最中も、その前も後も、他に誰も訪れることがありませんでしたので、
心ゆくまでお仕事を行わせて頂くことが出来ました。
この岩戸落葉神社で行わせて頂きましたのは、
女神の儀式です。
本殿の前に美しい拝殿がありましたので、こちらで行わせて頂くのかと最初は思いましたが、
神社に足を踏み入れるとすぐに吸い寄せられるようにして向かうことになった本殿にて、
やはり儀式を執りしきらせて頂くことになりました。
本殿は岩戸社と落葉社の二社が連なっています。
左側が岩戸社、右側が落葉社です。
瀬織津姫命が御祀神であるのは、左の岩戸社になります。
階段を上がると、さらに本殿の中に上がれるように、スリッパが置かれていました。
ブーツを脱いで上がらせて頂きます。
こんなに近くでお参りさせて頂けるのだなあと感謝の気持ちに溢れていると、
そのまま一気に儀式に突入となりました。
ありがたいことに靴を脱ぐという一つの儀式が入ることによって、
瀬織津姫命と一体となったような一致感をも頂かせて頂き、お仕事をさせて頂けました。
また二社の本殿が横並びにつながっていますので、
不思議と多少舞うことが可能なスペースも整っていました。
気づけば、たくさんの女神たちに取り囲まれていました。
いつもお世話になっている馴染み深い高次の女神の存在たち、
始めて関わらせて頂く新たなご縁の女神の方々、
そしておひとりずつ確認しきれないほどのたくさんの姫神や巫女神、
またこの京都ならではの、京都の地でしか集って頂けないような姫神たちも多くいらっしゃり、
この地で行う意義を背中で重く実感しながら、
儀式を執り行わせて頂きました。
女神たちのエネルギーが伝波のように細かな層となって私に届き、
段階的に集まり続けるそのエネルギーの中で行った儀式のエネルギーが、
今度は中心の私から神社中に、わんわんと響くように再伝波されていきます。
瀬織津とともに私の真の喜びと真の女神性を新たに開き、
この世界そのもの女神性の開花、
世界中の女神たちの開花へとつなぐ、
祈りであり、
命の舞であり、
私たちの生きる意味を平らかに開き現す儀式ー
そして岩戸落葉神社にて執り行わせて頂いたのは、
最終的にこの小野郷そのものを開かせて頂く儀式ともなり、
小野郷からこの女神の喜びの真性を世界へと開きしらしめさせて頂きました。
儀式の最中に、
軽い雨粒が、まるで祝福のように空から落ちてきました。
わずかな雨の光は、
瀬織津姫命からの水の祝福のようであり、
地球の生命の光の象徴のようであり、
女神たちの喜びの慈雨のようでした。
終了後、
瀬織津姫命と小野氏について、
瀬織津姫命の存在について、
瀬織津が滔々と語り出すのを、ただ聞かせて頂きました。
瀬織津姫命が元初の女神であり、
一義神であり、
ただの水の神であること、
それは生命の原初であること、
母体であること、
だから女神であるのだということ、
だから純粋無垢な乙女であるのだということ、
それでいい、
そこに戻るのだと、
そんなことを瀬織津はただ滔々と歌うように語られたのでした。
内容の詳細を伝えることが出来ませんので、
以上のことも少しずらしを入れてお伝えさせて頂いています。
そのずらしというのも私がずらしているわけではないので、
どこがどうという説明もできないのですが、
ずらしのような、全てが真実のような、
まるで神話が真実のようで真実を隠されているようなものであるのと同じように、
記させて頂いています。
言葉にすれば言葉にしたそばから言葉はまやかしになっていく、
そう瀬織津姫命は伝えてきます。
これは3次元の常なのかもしれません。
ですから、
皆様はただこのエネルギーを、
その感覚のとらえる全てを、
ご自身に満たして頂ければと思います。
それで真理を得ることができる、
女神性を開くとは、そうしたことが容易にできるようになることでもあるのだと、
瀬織津姫命はいうのでした。
儀式の後は、美しい小さな境内の中を堪能させて頂きました。
大きな石にきざまれた苔むした水盤や、樹齢400年以上という大きな銀杏の木、
逆立ちした狛犬、本殿の後ろに覆いかぶさるように迫る神秘的な磐座…
岩戸落葉神社はまるで日本庭園のような美しさがあり、
そして本質は古来からの聖なる祭祀場でありました。
この小さな境内の中にいると、
何故か必要なすべてがこの小さな空間の中にそろい切っているような、
不思議な充足感に満ち満ちてくるのでした。
祭祀場とは、
この世界の縮図でもあるのかもしれません。
ふとそんな気がしました。
そして境内にはいくつかの摂社や末社がありました。
その中には、
小野が独自につながっていた神や、天の織姫、平安の姫君などがいらっしゃり、
また宇宙と繋がっているポイントもありました。
それらそれぞれに私のできることを行わせて頂き、
皆様から私の知らなかったことを教えて頂いたり、頂きものを頂いたりと、
とても楽しく関わらせて頂きました。
こうして無事に、岩戸落葉神社での全てのお仕事を遂行させて頂くことができました。
滞在時間はそんなに長くはなかったのですが、
とてもとても長く久しい時間を過ごしていたような、
いつしか自分が小野の里の精霊となっているかのような、
そんな不思議な一体感を頂ける滞在となりました。
いつまでもこの場所にいたいという名残惜しい想いを切り替え、
またバスに乗って次の目的地へ向かいます。
最初にお話ししたように、この日はやることがたくさんあるのです。
また来訪できたらいいなと願いながら、
バスに揺られて再度いくつもの結界をくぐり、小野の山里を後にしました。
今度は左京区の小野郷の地へ向かいます。
それでは次のブログに続きます。
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