京都・小野郷ライトワーク後編 いくつもの儀式
皆様、こんばんは☆
ミドリです。
さて今回はようやく、京都小野郷ライトワークのご報告、後半のお届けです。
待っていた人がいたかどうかは謎ですが、
大変お待たせいたしました!
今回ブログをまとめるにあたって色々とコンタクトをとっていたら、
思っていた以上にお伝えできることが少ないことがわかったのですが、
私の旅の忘備録も兼ねて、
今回も頑張ってお伝えさせて頂きますね。
京都・小野郷ライトワーク前編はこちら
さて小野郷・岩戸落葉神社でのお仕事を終えて、
バスと電車をいくつか乗り継いで、今度は京都市東側の小野郷へと移動します。
正確にはかつて小野郷と呼ばれていた地域、洛北となります。
次のお仕事の地となるのは、この洛北地域にある祟道神社です。
崇道神社(すどうじんじゃ)は京都市左京区上高野にある、
早良親王をお祀りする神社です。
社伝によると、
785年に長岡京造宮使であった藤原種継が暗殺された事件の首謀者として逮捕され、乙訓寺に幽閉された後、淡路に流される途中、無実を主張して絶食死したとされる、
早良親王(崇道天皇)の霊を慰めるため貞観年間(859年~877年)に創建された神社となっています。
ですので死後に崇道天皇の尊称を贈られた早良親王というのはいわゆる祟り神であり、こちらの神社は御霊神社となることになります。
祟道神社の中には多くの境内社があり、伊多太神社や出雲高野神社、そして小野神社がありました。
今回は小野氏のご縁で出向かせて頂いたのですが、
お仕事は全てのお社において、それぞれの内容で行わせて頂きました。
さて小野郷の山から乗り継いできた最後のバスを降りると、
比叡山を臨む少し寂し気な町に出ました。
つめたい空気に身を縮めながら、そのまま車道沿いに歩を進めていくと、
左手に突然大きな鳥居が現れます。
ようやく祟道神社に到着しました。
祟道神社は入口から本殿まで、3つの鳥居を経て、
長い長い参道がまっすぐに伸びていました。
入口の最初の鳥居からは奥の本殿のあたりが遠すぎて見えないほどです。
その何とも途方もないほど長く感じられる神秘的な一本の道を、
多くの存在達に導かれながら、一歩一歩踏み締めて歩を進めさせて頂きました。
祟道神社は都の鬼門(北東)に建てられており、
まさに鬼門封じの御霊神社となっていました。
山麓を切り開き最奥の本殿までこのような長い参道を造ったのは、
早良親王をよっぽど恐れていたためなのか、
霊気を通す距離が必要であったのか、
その理由は今となっては知る由もありませんが、
荒れているとも自然体ともつかない鬱蒼と茂る森林の中を、
一本の白い参道がひたすらに続いている光景は、
まるで冥界への一筋の道のようであり、
別世界へのいざないのようでありました。
今回到着して真っ先に向かわせて頂いたのは、
もちろんこの祟道神社の主、祟道天皇こと早良親王の元です。
早良親王は長い参道の先ですでに私を待たれてくださっていました。
最初からそのお姿だけははっきりと観えていたのです。
はじめてお会いさせて頂く早良親王でしたが、
随分前からずっと会いたくて仕方がなかったような、
まるで生き別れた肉親のように込み上げるものがありました。
早良親王のお姿は目にするのが申し訳ないほどに大変美しく、
私は自然と涙がこぼれ、
すがり着くように本殿へと上がっていきました。
特に余計な会話や情報はもう何も必要なく、
静かなエネルギーのやり取りのみで、
すぐにワークへと入らせて頂いたのでした。
ワークを行わせて頂いたのは、最奥の本殿前の拝殿にて。
本殿の裏はすぐに山となっていて、山麓を削った石垣に取り囲まれています。
確かに参道を進んできたのに、
まるで山の中に迷い込んでしまったような寂しさと、
この世の果てを感じさせる、まさに終着点のような場所です。
お仕事は主に陰陽師として行わせて頂きました。
何をどのように行ったか詳細をお伝えすることはできませんが、
私が本格的に独自に宇宙の陰陽師としてお仕事を始動したと確信を得た儀式となりました。
気づけば時には身体が宙を舞っていました。
親王を抱き、
神社を背負い、
空間を裂き、
宇宙を割り、
そして全てを統べるー
これは光の再創の儀式でもありました。
季節外れの蛍が現れたかのように、
本殿にいくつもの光が灯っていきます。
空を舞うようだった私の舞が時をかけて続いていく中で、
いつしか蛍の光は境内中に広がってきました。
これは新しい生命の炎を灯す儀式でもあり、
また光と生命の創造を錬金術師としても行わせて頂きました。
そして最後にはこの聖地自体を、
ひとつの光に変えさせて頂くお手伝いをさせて頂いたのでした。
このような御霊神社系でのお仕事をさせて頂いた時はいつも、
他のお仕事の時とはまた違って、自らに深く刻印されるような、感極まる想いを抱かせて頂きます。
意味あって3次元世界にとどまり続けたそれぞれの崇敬な方々の、
長い時間の重みと厚み、
その中で熟されていったそれぞれの深遠な想いの極みの結晶が、
その芳醇な魂の姿が、
私にはこの上なく美しく甘美にさえ感じられ、強く強く心を打たれるのです。
私にはその遥かな学びのわずか一片すらも共有させて頂くことは難しく、
ただただ感動と尊敬の念に服して、
粛々とお仕事の役目を全うさせて頂くのでした。
そしてそれは、私の生命が存在する意義を受け取らせて頂く儀式ともなり、
本当にありがたい稀有な時を重ねさせて頂いてるのです。
こうして本殿でのワークを無事に終了させて頂いた後は、
続けて各境内社にお参りさせて頂きました。
各社で貴重なお話を伺わせて頂きながら、
それぞれにて必要なお仕事に最善を尽くさせて頂きました。
境内社には出雲系の神々が多くいらっしゃり、ずっと昔この地は出雲の土地であったようでした。
出雲高野神社では、私の今後の出雲系のお仕事に対しての助言や導きなどを頂き、
伊多太神社では、出雲の農耕の神でありこの地域の氏神様でもある伊多太神から、
やはりこの地ならではの叡智やお話等を頂き、
そして私がこの地球で強く生きていくためのエンパワメントを施して頂きました。
私の弱い点をすっかり見透かされていて、補強してくださいました(;_;)
そして境内内にはその他天孫系の神々の摂社もあり、この祟道神社の地には多くのお社が集合している印象でした。
もちろん実際にはお社にいらっしゃる方が異なることも、
いるはずの方が今はいらっしゃらなくなっていることもありましたが、
この地で想像以上に多くの神々にお会いすることが出来ました。
お会いした神々の中に敬愛する市杵島姫命もいらっしゃり、
この時に姫から頂きました叡智は、前半の岩戸落葉神社でもすでに市杵島姫命から頂いていたものと重なる内容のものとなっていましたので、
この2つの叡智を使って、またワークを構築させて頂こうと思っています。
今回市杵島姫命より頂いたものはとても面白い叡智でしたので、興味深いワークができるのではないかと今からわくわくしています。
さて最後に境内内にある小野神社へと移動しました。
こちらはもちろん小野氏にまつわる神社であり、今回の私の旅の由縁のひとつとなった氏族の方々です。
こちらの小野神社は、小野妹子(おののいもこ)とその息子である小野毛人(おののえみし)をお祀りし、総じて小野一族を祀る神社となっています。
この小野神社エリアは境内の中でも敷地が広く、何もない広場のような土地がただ広がっていて、その山際に小さなお社が建っている、不思議な神秘的な空間となっていました。
山腹には小野毛人のお墓があります。
正確には、もとは小野の里であった地に後から祟道神社が建てられたということになるようです。
そして小野の地となる前は、出雲の地であったというわけですね。
歴史が積み重なり混在している土地ですが、
不思議と交通整理はできていました。
小野神社のお社自体は本当にとても小さいものでしたが、
私の得た情報では、こちらは小野家の総本山的な役割を果たされているところであるようでした。
小野氏の方々とはこれまで数名の方とコンタクトを取らせて頂いていましたが、
ここではやはり篁氏に導いて頂くことになりました。
この場で急遽儀式を行うことになり、
そしてこの儀式はかなり個人的なものとなりました。
また小野からある伝授も受けることとなって、
今後も小野氏とは共に密接に関わらせて頂くことになるようでした。
そして私自身に関しての情報、指導をも頂け、手厚い導きと守護を施して頂きました。
古来から続く氏族というのは、
ある意味とても未知の情報に満ちており、非常に隠された力と秘義や秘法を留めていて、
まるで宇宙種族のようだなと思いました。
気が付くとこのだだっ広い敷地中に小野の氏族の方々が集まっていらっしゃり、
不思議なことに私はその代表として、
小野の儀式を取り仕切り、そして個人の身で受けさせて頂いたのでした。
余談となりますが、
この日一日、このように様々なお仕事を境内のあちらこちらで自由に行わせて頂いている間、
本当にただの一人も全く人が来なかったのでした。
ある意味孤独な空間で存分に自分の霊性を解放できましたが、
人払いが出来ていたというよりは、
本当に普段から人が来ない神社であるのかもしれないなと思いました。
京都で一番怖い神社といわれているせいでしょうか。
最後の方になってようやく一人、地元のおじいさんが慣れた手順でお参りに来られたのですが、
私の姿を見つけて、大変驚かれていました。
「もしかして東京から来たの?」と声をかけてくれたおじいさん。
「そうなんです~」と私。
「…こんなところまで…随分熱心なんだねえ…」としみじみ感心するおじいさん(;'∀')
「…せめて秋に来たら紅葉がきれいだよ。秋に来たらもうちょっといいよ」
とおじいさんからさらにお気遣いの言葉を頂き、
「そうですね、今度は秋にきてみますね!」
と何だか申し訳なくなって元気いっぱいに答えた私でした(笑)
その後も帰り際に別の地元の男性がまた一人やってきましたが、
中から出てきた私にあからさまにぎょっとしていましたので(そんなに驚きますか?と思いましたが汗)、
本当にめったに人が来ないんだろうなあと、
しかも一見信仰心薄そうなこんな女性がここにいたら、きっととても不思議なんだろうなあと理解して、その方にも丁寧にご挨拶だけさせて頂きました。
怖がらせてごめんなさい(^-^;
こうして祟道神社でのお仕事を全て終了した私は、
気が付いたらかなりガス欠状態となっていましたので(;'∀')、
京都市街地へと戻るべく、行きとは打って変わって足早に、さっさと参道を戻らせて頂きました。
いつものように、終了したお仕事にはもう未練のない私なのでした。
今回の京都旅もいつものように弾丸日帰りライトワークツアーでしたから、
お仕事の合間合間の極少の時間で、せっかくの京都を何とか楽しみました。
美しすぎる四条大橋の夕景を眺め、
老舗のいづうさんで束の間のわずかな休憩を頂き、
夜の八坂神社でお参りと、
他にも撮影できなかった寄り道も含めて、
京都の街を小さく満喫させて頂きました♡
そして満月ー。
この日は2023年最後の満月の日でしたので、
帰りの京都駅のホームから覗いていた綺麗なお月様をぱちり。
この時にはもうほぼ意識のなかった私の、この日最後の良い仕事となりました。
撮影した記憶が全然ないので、
グッジョブです、私。
こうして、無事に2023年最後の現地ライトワークを終了することができました。
連動したイベントにも参加して頂いた皆様、あらためてどうもありがとうございました。
もう今は2024年の3月なのでずいぶんと時間がかかってしまったのですが(;'∀')、
この京都・小野郷でのライトワーク後半編についてまとめるのが、何だかとても大変だったんですよね。
伝えられないこともいつもに増してとても多く、骨を折りました。
それでもこうやってまとめさせて頂き、皆様にお伝えさせて頂けることで、
私の中でこれではじめてこのお仕事が昇華されていくように感じますので、
大分絞ってはいますが、ようやく皆様にご報告できて、本当にとてもほっとしています。
さて時がたつのは早いもので、もうすぐ春分となります。
新たな次のお仕事はもう始まっていますので、また貢献の旅に出向かせて頂く予定です。
最近はありがたいことに皆様からの施術のご依頼が多く、施術のお仕事の方でいっぱいいっぱいとなっていましたが、
やはりこのタイミングで次の現地ライトワークに行けることになりそうです。
皆様にもまた新しいご報告をさせて頂きますね。
そして還元、共有させて頂けるものがあれば、惜しみなくお届けできるようにイベントも行わせて頂きます。
それでは今後とも、
ライトワーカーとしての私もどうぞよろしくお願いいたします♡♡♡
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