奈良・山の辺の道ライトワーク~古代の巫女~三輪③
皆様、こんにちは☆
ミドリです。
さて、今回は奈良・山の辺の道ライトワークの続編です。
分割してお届けしている終わりの見えないレポートとなっていますが(;'∀')、
これも必要があってのことかなと思いますので、
ご興味のある方に引き続きお読み頂ければ嬉しく思います。
奈良・山の辺の道ライトワーク①はこちら
奈良・山の辺の道ライトワーク②はこちら
それでは前回の続きですが、
次は大神神社の摂社となっている、狭井神社へと向かいます。
大直禰子神社から再び大神神社の境内に戻り、
拝殿に劣らないほど大きくて立派な祈祷殿を抜けて、その先にある、狭井神社へと通じる「くすりの道」へと入ってきます。
くすりの道は狭井神社の参道です。
こちらのくすりの道には、製薬会社の協力で道の両脇に薬草や薬木が植えられているのだそうです。
狭井神社では、毎年4月18日に狭井神社ならではの春の祭祀があり、舞い散る桜の花びらとともに疫病が流行ると昔から信じられ、花を鎮める祭祀が行われてきたそうです。
これが「鎮花祭〜はなしずめのまつり」であり、「薬まつり」とも呼ばれているそうです。
正直、私の昔の記憶にはこの祭祀についてのものがないので、その真義やもともとの由緒など私としてはよくわからないのですが、
はなしずめのまつりなんて、なんて美しいのだろうと、
ただただ感じ入らせて頂きました。
人々の病を治したいという想いや、大切な人の身体を健康にしたいという純粋な想いが、
歴史の中で、このような美しく清らかな祭祀を創り上げていったのだろうと思いました。
くすりの道を少し進むと、道の脇に、少彦名を祀るという磐座神社がありました。
磐座そのものがお祀りされています。
こちらに立ち寄らせて頂くと、銀の龍が現れました。
古からこちらにいらっしゃるというその銀の龍とお話させて頂き、またありがたいことに龍から玉を賜らせて頂きました。
やはり出雲の神域には当たり前に龍がいます。
荒ぶる龍というよりは、人間との交流に手慣れた、古い長老のような龍神でした。
大神神社の境内にはこの磐座神社以外にもあちらこちらに磐座があるのですが、
そうした磐座に近づくと、過去世において自分が磐座祭祀を行わせて頂いていた時の、場面場面がときおり断片的に蘇ってくるのでした。
祭祀に使用していた出来立てのお神酒の薫りでさえ匂い立ってくるようで不思議でした。
ただ私にとってはそれらの記憶は、自分の本義ではないご神事をある種必死で行っていたところがありましたので、
いつも自分を問い正すような緊迫感と、申し訳なさに責め立てられるような自責の感覚も同時に湧現し、
幾度も苦しい痛みをも味わうことになりました。
こうして不意に訪れる過去世の記憶と交わりながら、
そして現代の三輪に生きる精霊たちとも交わり情報を得ながら、
現在と過去の交錯するくすりの道をゆっくりと進んでいくと、
その複雑な交流に少し慣れてきた頃、狭井神社の鳥居が眼前に現れました。
狭井神社は、正式には「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわのあらみたま)神社」といい、
今は大神神社の摂社となっています。
ご祀神は大神荒魂神を主神とし、大物主神、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)を配祀しているということですが、
今回私がこちらで出会わせて頂きましたのは、幸ノ神(サイノカミ)である幸姫命(サイヒメノミコト)でした。
幸姫は出雲の原初からの神です。
幸姫とは、数年前から西の方面に足を運ぶたびに高次元では交流させて頂いていたのですが、
実際に神社に出向き、降りてきて頂き幸姫にお会いさせて頂きましたのは、このたびが今世で初めての機会となりました。
狭井神社の鳥居を目にした時、自分が、
どんなにかこの神社に来たかったか、
どんなにか幸姫にお会いしたかったか、
とても強力な求めが自分の中に存在していたことにこの時初めて気づき、
一瞬で胸がつぶれそうなほどに歓喜が湧きあがることとなったのでした。
幸姫に手繰り寄せられるようにしてその鳥居をくぐり、
さらに参道を進んでいくと、
左手に忽然と今度は朱の鳥居が現れました。
こちらは大好きな市杵嶋姫命の祀殿でした。
狭井神社の境内には市杵嶋姫命もいらっしゃったのでした。
市杵嶋姫命らしい、
美しい赤の神域が広がります。
市杵嶋姫命神社には大きな池があり、赤い橋がかかっています。
そしてその先に、市杵嶋姫命がいらっしゃいました。
市杵嶋姫命にお会いできるとほっとする私がいます。
この日の、半分異次元に浸かっているようなぎこちない身体を懸命に使って、私はお母さんに飛びつく子供のように、お社に向かって赤い橋を渡りました。
市杵嶋姫命とのこの三輪の地での新たな再会に心から感謝しご挨拶させて頂くと、
市杵嶋姫命の導きで突然いろいろなことがさらに蘇りました。
そして彼女とのルーツも、私のこの巫女の過去世にあることをはじめて知ったのでした。
その新たな事実に、なんともいえない摩訶不思議で神聖な感覚が湧き上がり、
そしてただただありがたさと溢れる敬意に全身が満ちて、
私の後ろに並んでお参りの順番を待っている方のことも忘れて、長い間手を合わさずにはいられませんでした。
お待たせした方、ごめんなさい(;'∀')
狭井神社の境内の世界は、
まさにくすりのような花のような美しい癒しと幸福に満ちていて、
癒しの女神の聖地が、そこには広がっていたのでした。
市杵嶋姫命に、自分とはいつでも会えるのだから早く幸姫命のところに行きなさいと促され、
いよいよ幸姫の拝殿へと向かいます。
幸姫より、
よくいらっしゃいましたと言って頂けたときは、
まるでその胸にやさしく抱きとめられるようでした。
幸姫にどんなにお会いしたかったかという私の想いは、
伝えずともすでに充分に汲み取って頂けていました。
またもや涙腺の決壊していた私は、
この地で自分が自然と許されていく感覚がして、
本当に申し訳ない気持ちと途方もないありがたさでいっぱいとなりました。
私は今日ここに、許されるために来たのだと、
素直にそう思いました。
そして幸姫から、
貴方らしさを自由に発しなさいと、
貴方らしさを自由に生きなさいと、
お花の叡智を頂きました。
本当は自由に生きたかった貴方、
しがらみの中で翻弄され抜いた貴方、
どんなにか自分の力をもっと使いたかったかしれない貴方、
今世はこれからは、
自由に自分の力を発揮して、
自分でもまだ未知なる自分の全てを発動させて、
好きなところへいくのです、
好きなことをするのです、
咲き誇りなさい、〇〇
これはそのための叡智です、
そう告げられ、
幸姫より叡智を授かるとともに、
私自身をさらに開いて頂きました。
幸姫より私の当時の名前を呼んで頂けたときに、
自分の真のアイデンティティが開かれていく気がしました。
そして幸姫はさらに続けておっしゃいました。
花はただそこで咲くだけで完璧であり幸福であり、どこまでも自由で在るのですー
貴方は何も恐れることなどない、
謝ることもない、
自分がただ咲けばいい、
そこにいながらどこにでもいける、
自由は咲かずには手に入らないでしょう、
花は咲いてこそ花です、
花は咲けばすなわち世界が幸福に、自由になるのです、
こうして幸姫より頂きましたお花の叡智は本当に大変素晴らしいものでした。
もう充分寝かせましたので^^、
今後ワークにして皆様にまた還元させて頂きたいと思っています。
ところで幸姫命は、私の伺ったところ、どこにでもいるわけでも、いらして頂けるわけでもないようで、
お会いできる場所は限られているということでした。
幸姫とのお話の最後に、幸姫にお会いできる次の場所を伺い、
それが私がこれから向かうべき地ともなりました。
幸姫との余韻を抱きつつも狭井神社を後にして、次のお仕事の地に向かいます。
ここからは山の辺の道へと入っていきます。
画像ではわかりにくいですが、
市杵島姫命神社の時にはすでにつめたい雨粒がばたばたと落ちてきていました。
さらに降ったり止んだりを繰り返しながらだんだんと荒れ模様となっていく天候の中、
次の檜原神社へと向かって、山の古道を進みます。
それでは今回はここまでとさせて頂きますね。
ようやく三輪を出ました(;'∀')
ところでですが、
自分で書きながらいったいいつ終わるのかしらと思っていたこの奈良の旅の記録ですが、
実は今月、再度奈良の地へ向かうこととなりましたので、この春分の日の続きをまた新たに現地で行うことになりそうです。
この日の旅はこのあたりから、お天気とともに全てがもっと交錯していき、私的にさらに怒涛な内容となっていきますので(;'∀')、
果たしてこれからどこまでご報告できるのかという点についてもわからなかったのですが、
なるほど、新しい旅とお仕事にまだこれから現実につながっていくのかと、あらためて今納得している私です。
これだけこの旅の記録を記すのが長引いているのも、意味があったのだなあとも思いました。
筆が遅いだけでなく(;'∀')
それでも、春分の記録は記録として、書けるところまで記させて頂こうと思っています。
次回からはようやく山の辺の道を歩き、檜原神社やその他神社、古墳、史跡へと向かうこととなります。
今回もお読み頂き本当にありがとうございました♡
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