2024 奈良・桜井ライトワーク~鳥見の零時の秋分祭祀~





皆様、こんにちは☆



ミドリです。









9/22一斉イベントの詳細はこちらから





今回は、↑こちらの一斉ワークイベントに関連する内容となる、昨年の秋分の日に行かせて頂いた、奈良県桜井市での現地ライトワークに関しての内容をお届けさせて頂きますね。





なかなかまとめられないまま、とうとう1年も寝かせてしまったのですが(;'∀')、

今回ようやくブログに出させて頂くことができました。



これでも必要箇所のみに絞ってのご報告となるのですが、まとめ終わってみると意外にボリューミーでした。




明後日秋分に際して行わせて頂く現地ライトワークそして一斉ワークイベントが、この昨年秋分のライトワークからつながっていく内容となることとなり、

ようやく一年たって、皆様にご報告させて頂くことができます。



書けないでいたのも意味があったのだなと、決して怠けていたわけではなかったんだとほっとしている私でもあります(^^ゞ


とはいえ、1年も前の日のことなので、記憶をたどりチャネリングしながら頑張ってまとめたので想定外に時間がかかってしまい、一斉イベントの開催までに間に合わないのではと焦りましたが、何とかなってさらにほっとしているところです。




昨年の秋分のお仕事は、私にとってある種の原点、転換点ともなったものでしたので、

こうしてブログで形にさせて頂けて、とてもうれしく思っています。



そして今回の秋分での現地ライトワークはついに島根、鳥取の方に向かいますので、

一年前の愛する奈良から続く、今回の出雲に向けての何より大事な準備となりました。



これで事代主命との約束を果たすことができます。





それでは早速記させて頂きますね。














2024年9月22日、この日の奈良は雨でした。


打ち付けるような強い雨が、朝から一日中降り続けるお天気の秋分となりました。





この日は奈良県桜井市の等彌神社の境内から続く聖山、鳥見山に登ることになっていましたので、

雨中の登拝となる覚悟で雨具の装備を固めて、東京から早朝に旅立ちました。




現地ライトワークはお天気に左右されるところが大きいですが、護られたりサポートが入ったりして、晴天に恵まれることも多いものです。



ですが、もう何をどうしたって悪天候を免れない時があります。


そういう日はもうそのお天気が最適解であるので、

覚悟していくしかないのでした。












雨の等彌神社です。




この日はレンタサイクルを申し込んでいたので、レインコート等完全装備で自転車に乗って神社まで向かいました。



桜井市のレンタサイクルの方から、結構降っていますが本当に大丈夫ですか、と何度も確認されてしまいましたが(;'∀')、

大丈夫です!と、持参した雨具を次々と身に着けて大雨の中を颯爽と出発させて頂きました。



何たってこれから軽い山登りとなりますので、

自転車くらいなんてことありません。













雨の等彌神社の境内は、数か月前の夏至に伺った時とはまた違った顔を見せてくれていました。


しっとりとした静寂の中に出雲の相変わらずの麗しいエネルギーが溶け込んでいます。




雨はバシャバシャ降っていたのですが、境内の中に入ってしまえば全く気になりませんでした。


この等彌神社の出雲のエネルギーというのは、私を一瞬で喜びでずぶ濡れにする、とてつもないエネルギーなので、

実際の雨などどうでもよくなってしまうのでした。







夏至の等彌神社のライトワークのブログはこちら







この秋分の日に私がこちらに再び来させて頂いたのは、

過去世の古代巫女として、またさらには今の私として新たに、

この地で祭祀を行うことになっていたからです。



それも鳥見山の頂上のまつりのにわ、鳥見の零時にて行わせて頂くのです。



ですから、どうしても頂上まで登らなくてはなりませんでした。













鳥見山へ入る前に、

猿田彦命をはじめその他出雲の方々からメッセージや情報を頂きながら、

境内を散策するようにして、出雲のエネルギーをゆっくりと味わわせて頂きました。




私はこの神社が本当に大好きなので、またこうして再訪できたことがとても嬉しくて、

なるべくずっとこの出雲のエネルギーに包まれて、

いつまでも出雲の方々とただ戯れていたくなってしまうのでした。













下津尾社へ入らせて頂きました。


下津尾社の境内に入ると、それまで降り注いでいた雨が突如止み出します。

ここでさせて頂くことがあるようです。












下津尾社というのは等彌神社境内の下方に鎮座しており、

上方の山際に鎮座する上津尾社と共に、等彌神社の主要な社となっています。



明治以前はこの下津尾社が祭祀の中心だったようですが、現在は上津尾社の方が中心となっており、こちらの下津尾社は末社となっているそうです。





とはいえ、等彌神社というのは本来は鳥見山の山中に座していたということですから、

山崩れで麓の現在地に遷座するまでは、鳥見山そのものが祭祀の中心となっていたということが、社伝からも伺えます。



そして私の知っている情報からするならば、

鳥見山こそ大和での古代出雲族の聖地であって、三輪山の太陽神の遥拝をしていた重要な祭祀の地でありました。



鳥見山の鳥見は出雲王家富家から分家した登美家の登美であり、そして等彌神社の等彌も本来は登美であるのです。




ですから、等彌神社というのは、古代から続く出雲族の神社なのでした。



この地にはこれだけ出雲の神々がいらして、出雲のエネルギーがこれだけ見事に溢れていますから、

ここにきてしまえばもう疑いもなく、ここは出雲でしかありえないことがわかるのですが、

現在の等彌神社の由緒、いわれとは異なることになります。












下津尾社には右殿と左殿があり、

右殿は「八幡社」として磐余明神、品陀和気命を御祀神とされていて、

左殿は「春日社」として高皇産霊神、天児屋根命を御祀神とされています。





ですが私がこちらでまずお会いさせて頂きましたのは、やはり事代主命、八重波津身でありました。


出雲王国の八代目副王、八重波津身です。













下津尾社の社殿の隣にはこちらの恵比寿社もありました。


恵比寿さまというのは事代主のこととなりますので、本来こちらの下津尾社では事代主命、八重波津身を主祀神として祀っていたのだろうと思われます。


登美家の祖神は事代主命となるからです。




ですから私が当たり前にこちらの下津尾社のお社でお会いさせて頂いたのも、事代主命でありました。



そして彼から秋分の豊かさのギフトとして、豊かさの瓢箪を頂かせて頂いたのでした。













この美しい瓢箪は「自分の豊かさを開く」という叡智でした。




事代主いわく、



人はそれがとても難しいのです、


自分に備わる豊かさに比べれば、富など極小のもの、


豊かさを大いに開くことこそがアセンションです、


豊かさの海につながるのです、



ということでした。





自分の豊かさを開くことは豊かさの大海につながることであると。




だから自分自身の豊かさを開きなさいと、


事代主はおっしゃるのでした。






そして他にも叡智の数々を頂かせて頂き、


美保にも来るようにと、

この地でもおっしゃって頂いたのでした。




実は事代主命からは長い間再三お仕事の依頼を頂いており、

この後もずっと、事代主と全く関係のない神社でも高次元でも、ともかく機会あらば強く依頼を示されるようになっていきました。




ようやく私の準備が整い、

今月の秋分にあわせて、事代主命のもとへと向かわせて頂くことになりました。



それは本当に事代主ご自身に関しての深い深い内容のお仕事となりますので、

私はしばらく前からその重みをしっかりと抱きしめて、毎日を過ごさせて頂いています。





ですから、この昨年の秋分のライトワークの内容を、どうしても今年の秋分の前にまとめさせて頂く意味がありました。



ぎりぎりとなりましたけれども(;'∀')













そして事代主命からのお話が終わり、

お社を一歩二歩と離れた時、

下津尾社の境内の端にふと、光のしずくが落ちているのが目に留まりました。



雨粒などではなく、

とても美しい光のしずくです。



このしずくは何だろうと目を凝らしていると、

しずくは上から落ちてきていることがわかりました。






ひとつの光に気づくとすぐに、

しずくは空からいくつも落ちてきているのだということが、一気にわかるようになりました。



下津尾社内の在るポイントに、集中して上から光のしずくが降ってきていたのです。





儚げで美しい、そのいくつもの光のしずくに私がしばらく見惚れていると、

この光のしずくたちは「豊かさ」のしずくであるのだと、

教えて頂くことができました。



豊かさのしずくは宇宙から降っているのだと。





この下津尾社の地は、宇宙から豊かさのしずくが落ちてくる場所であったのです。













下津尾社の地ではずっと豊かさの祭祀が行われていたということでした。



古来から登美山では豊かさの祭祀を行っていたのです。






現在の下津尾社ができたのは、山崩れによって山麓に社殿を降ろすことになった12世紀頃となるようですから、まだ新しいお社となります。


ですから本来は古代より登美山(鳥見山)の山中にあったであろう、このしずくを降ろすポイントを、その時に同時にこの地に移したのかもしれません。






この大和の古代出雲の聖地では、

宇宙とつながり、宇宙の豊かさを地上と繋げる宇宙祭祀が、

ずっと行われてきていたのです。






宇宙は豊かである、


豊かさの海とは宇宙のことであるのだと、




事代主命は教えてくださいました。






さらに事代主命は続けます。



〇〇、さあ先にここでも豊かさの祭祀を行いましょう、


今日は秋分です、


豊かさの祀りの日です、















事代主命の仰せのままに、

私はしずくの落ちるポイントに立たせて頂きました。




止まることなく豊かさのしずくが地面へと落ちてきます。


私は地面に染みていくしずくを全て集め上げて、玉を創っていきました。





豊かさの光のしずくの玉は次第にどんどん大きくなっていきます。



私はさらに大きく大きく玉を拡大し、

その光が私の体を超え、等彌神社を包みこむほどになった時、

そのまま世界へと一気に広げさせて頂きました。





事代主命の言うとおりに、これは豊かさの儀式、祭祀となったのでした。














そして私自身も、降りしきる豊かさのしずくを十分に浴びさせて頂いて、今日これから行うお仕事のためにたっぷりとチャージさせて頂きました。




この下津尾社においてもこうして務めを果たさせて頂くことになって、

この日は秋分の務めを本当に私が行わせて頂くのだと、

身が引き締まり覚悟のさらに定まった、最初の祭祀儀式となりました。













そうして最初のお仕事を終えた私は下津尾社を後にして、

次は山際の上津尾社へと向かいました。




下津尾社の鳥居をくぐって広い境内へ戻ると、

途端に雨脚が戻ってきます。



私はまたレインコートのフードをかぶり直し、今度は大粒の雨のしずくを体で受け止めながら、上津尾社へと上る階段をのぼっていきました。













上津尾社は等彌神社の中で一段高い地に鎮座されている、

現在の本社となります。












上津尾社の御祀神は「大日孁貴尊」であり、一般的には「天照大神」のことであると言われています。




しかしやはりこちらで私がお会いさせて頂きましたのは天照ではなく、

天日方奇日方命、そして狭穂姫命でありました。




奇日方命は登美家を大和に築いた方となりますから、

この登美の聖地にいらっしゃるのは至極当然のことでした。




そして狭穂姫命は、私が古代巫女であった過去世の時、同時代に生きていらした姫巫女様でした。



氏族や王族、豪族の争いが盛んであった時代ではありましたが、

巫女同士というのは、出自や環境、立場を超えて、お互いに通じあっているところがありましたので、余計なものを持ち込まない繋がりがありました。



私は当時とても狭穂姫様に憧れと尊敬の念を抱いておりました。


そして偉大な出雲王国と出雲族の方々にも、当時の私は大変大変敬意を抱かせて頂いていたのです。



ですからこの登美山の聖地にも狭穂姫命に対しても、

この三輪西麓から南にかけての地域を有していた全ての登美家の方々にも、長い間罪の意識と自責の念が止められずにおりました。




その私が、

この日はこの聖地にて、何と私自身が祭祀主となって、新しい時代の新しい秋分祭祀を取り仕切らせて頂くことになったのです。


私にとって、本当に奇跡的な扉を開けさせて頂いた、2024年の秋分となったのでした。













こちらの上津尾社では、狭穂姫命がおっしゃる通りに、

鍵を開ける儀式をさせて頂きました。




貴方自身の独自の仕事は、後から山で行いなさい、


ここでは鍵を開けてほしいと、


狭穂姫命に導かれたのでした。




鍵を開けさせて頂いた途端に、

等彌神社内に閉ざされていた龍穴から、一体の古い龍が飛び出してきました。



古い龍が現れる時は、やはり水を好むからか、

雨や霧がやけに濃くなります。



私は視界が雨で何度も曇る中、その後も上から大きなエネルギーを降ろし、下まで貫かせ、

通路を再構築させて頂きました。














こうして自由になった出雲登美家の龍が、

泳ぐように何度も円を描いて等彌神社の周囲をめぐる姿を私がまぶしく見つめていると、

狭穂姫命がさらにおっしゃってくださいました。




共にアセンションへの扉を開きましょう、


〇〇、貴方はそのために今人間に生まれているのです、


そろそろ思い出してください、


と。





敬愛する狭穂姫命からそんなありがたい言葉を頂けたおかげで、

自動的に自分の鍵も開けることができてしまったのか、

私は自分の存在について、また自分の生命の出自や由縁について、

その瞬間にいくつも思い出していったのでした。




そして私は当時実は出雲の方々の代わりに、

一時的に祭祀を代行していた時があったことを思い出したのです。



出雲祭祀をすでにあの時、この私が行ったことがあったのでした。




秋分は、自分の豊かさと焦点を合わせなおす日。




私は当時、自分のできることは何でもさせて頂こうと幼いながらも必死でしたので、

出雲祭祀を何としても絶ってはならないと、

出雲の祭祀力を伝授頂き、祭祀をつながせて頂いた歴史があったのでした。





私にはすでに出雲祭祀の経験があったのです。



この事実を思い出し、

ああ、私は当時お役に立たせて頂けていたのだなと、涙が溢れたのでした。













新たに思い出した記憶と経験を抱え、

この聖地でも久方ぶりとなる、リアルでの秋分祭祀を私独自の主催で行わせて頂く、

というのが、

今回の私のライトワークであり、

出雲の方々からのご依頼でした。




登美の聖地を開くととともに、

私を開いてくれるのだ、


そんな確信が湧きました。




何とありがたいことだろうと感謝で胸が裂けそうになりながら、

上下のお社で充分に準備を整えて頂いた私は、

満を持して鳥見山へと向かわせて頂きました。















こちらの朱の鳥居が鳥見山(登美山)の入り口となります。



等彌神社の境内の奥に入口はあり、誰でも登頂することが可能です。












雨は相変わらず強く降り続けていて、止む気配は一向にありませんでした。


今世の私の初の鳥見山登拝は雨の登山です。














とはいっても登山というほどの高さはなく、一般的にいったらハイキングレベルの低山となる鳥見山なのですが、

非力な私には難易度高めの登拝経験となりました(;'∀')




ありがたいことに山中では木々のおかげで雨にあたることがあまりなく、

地面がぬかるんで進めないということもほぼなくて助かりましたが、

それでも急な傾斜が続く道も多く、道中は祭祀前のトランス感と肉体の限界の狭間で、なかなかハードな体験をさせて頂くことになりました(;'∀')














最初のポイントである「零時遥拝所」では、

石碑の立っている小さな広場が広がっていました。












こちらの遥拝所は、

頂上の鳥見(登美)の零時まで登らなくてもここで零時を遥拝できるという場所なのですが、

そもそも鳥見山の零時というのは三輪山を遥拝するための聖地であるので、

これでは遥拝所の遥拝所になってしまっていて、ちょっとユニークなことになっていました。












この「零時遥拝所」の広場も、また次のスポットとなる「庭殿」の広場も、

古代では別の用途で使われていたスペースでありました。













こちらは次の「庭殿」の広場です。











「庭殿」は遥拝所よりも広い土地が広がっていました。



こちらの「庭殿」は祭りの饗宴に使われていたといういわれがあります。













頂上の零時に到着するまでに設けられていたこうしたスペースには、本来それぞれに意味、役割があり、それにも歴史の変遷があったりしました。



しかし最もこれらの土地が活躍したのは、

当時、祭祀の時には各地から大変多くの人々が集まり、中には人間ではない存在も実は多くいましたので、

その氏族や種族の各グループごとに、また登美家との関わりや参加頻度などにもよって、

祭祀参加時の定置として振り分けるのに使われた時でありました。



出雲族は分け隔てなく来訪希望のある氏族、種族を受け入れていましたので、

関係の悪い族同士が中で逆に気まずくなったり困ったことにならなくて済むように、

上手く定位置を割り振るようにしていたのでした。


また人間とは違う存在たちも居心地よく参加できるように、場所の配慮をしていました。




ですが、特に春分、秋分の大祭の時には、広場だけでなく間の道々にも人々がひしめき合い、大変な賑わいになりましたので、

たいていは最後には皆歌ったり踊ったりとして入り乱れてしまっていましたが^^














そして3つめのこちらは、頂上前の最後のスポット、「白庭」です。












今のいわれでは「白庭」は埋葬地とされているようですが、

私にはこの地で若い巫女たちが巫女舞を舞っている姿が観えました。




まだ一人前になる前の可愛い巫女たちが、

大姫巫女が祭祀を行う零時の手前のこの場所で、舞や祭祀を行っていたのでした。




古代では本当に巫女の存在がとてもとても重要でしたので、

この白庭の場所で白い衣装に身を包み、頂上の本祭祀をサポートしている巫女たちの姿が、

とても美しく感動的でした。
















こうして3つの広場を超え、さらに山道が険しくなって、

私の足腰がぎしぎしときしみ始めてきた頃(;'∀')、

ついに零時の聖地が見えてきました。












このあたりも祭祀の時にはたくさんの人が宴を繰り広げていたところです。












ようやく零時に到着しました。












登美の零時です。




到着した時には雨が浅い小雨に変わってくれていました。


この日の雨は自在に変化を見せ、

まるで舞台の照明や音響のように、この日のライトワークを彩ってくれていました。







ようやく到着した登美の零時は、

とても不思議なエネルギーの場所でありました。













古代ではこの地から三輪山の太陽の女神を遥拝し祭祀を行っていましたが、

今では木々が生い茂り、三輪山どころか、展望は全く臨めない場所となっていました。














ある意味これまで閉ざされていた聖地ともいえます。



幾重にも異なる意義と歴史に包まれ、

これ以上この地が荒らされることがないように、

時が来るまでその本位を保っていられるように、

登美の零時、すなわち「まつりのにわ」は、霊的な次元のみでその意義をつないできていたのです。













私はこの地に来ることで、

登美の零時で行われていた秋分祭祀の本義に行きつくことができました。






ここでの秋分の祭祀は、豊かさを開くお祀りでありました。



登美家の本家、出雲王家富家の「とみ」は、豊かさの象徴です。






秋分の祭祀では、

ここで宇宙から豊かさの光を受け取り、宇宙との交信を行っていました。




それは登美の姫巫女にしかできなかったのです。




そして降ろした光を代々の姫巫女は、このお祀りに集った皆に惜しみなく分配したのです。














「貴方もそれをしていたのですよ」



零時の地にぽつんと立っていた私の前に、

いつの間にか現れていた狭穂姫命が、そうおっしゃってくださいました。





そして狭穂姫命は続けます。



〇〇、貴方はその出自からも自分の名前からもわかるでしょう、


貴方の精神、性質も富なのです、


だからあの時、貴方に代わりを頼んだのです、




秋分でなければ受け取れない豊かさ、


秋分でこそ受け取れる豊かさがあります、



さあ、自分でそれを受けとっていきなさい、














この地に着くぎりぎりまで、果たして私がここでどんな祭祀を行うのか、行うべきなのか、

全く観えていなかった私だったのです。




しかしこの零時に至った時には、

古代過去世で自分がここで代わりに行った祭祀のこと、頂いた出雲の伝授のことなどがすでに明確に蘇ってきていたのと、

この等彌神社にて手厚くサポートや伝授を頂かせて頂いたおかげで、

これから祭祀を取り仕切る巫女としての心構えや決意までもが、すっかり備わっておりました。






私は手を合わせて一礼をすると、

とても静かにいつのまにか、

独自の舞を開始していました。




この体を使って、

私が宇宙からの秋分の光を受け取らせて頂くのです。




そしてこれは、

古代の巫女としてだけではなく、

たった今の今世の私としての、

私という魂の、

創造と独自の舞の祭祀でもありました。





新しい私が独立して、

宇宙の豊かさの光をこの鳥見山、登美山に降ろし、

そして自らの体に受けさせて頂くのです。














この鳥見山というのは、宇宙からの豊かさの光のエネルギーの貯蔵庫ともなっておりました。



私は鳥見山を使って、

受け取るだけ受け取ったこの豊かさの光を、奈良中に広げさせて頂いたのでした。






祭祀の最中に「豊かさを開くことは能力を開くことでもある」と、

唐突に狭穂姫命から教えて頂きました。



おかげで私は、自分のサイキック性に、とても勇気と自信を頂くことができました。














無事に全ての祭祀を終了することができた私は、

この身で受け取らせて頂いた溢れる豊かさの光を、集っている皆に分配させて頂きました。




祭祀を終えると、気づけば山中が秋分を祝う存在たちで埋め尽くされていたのです。



夏至のお祀りの時のように、

皆祝福のお酒を酌み交わし、歌い、踊っていました。




私はこの豊かさの光を、

皆の盃に入れていきました。


皆は豊かさの光に光った香しいひかりのお酒を、喜びあって呑みあいました。




いつの間にか、

あの白庭の若い巫女たちも私の降ろした光を一緒に皆に分配してくれていました。







秋分は豊かさを宇宙から受け取る日。


そして自分の豊かさを開く日。


自分の豊かさをチューニングする日。




お互いの豊かな光を祝いあい、喜びあう。


新しい自分の豊かさを開き未来を誓いあう。





聖なるお酒で清めあい、祝福しあう、豊潤で随喜に満ちたお祀りを、

この日私は同時に自らの豊かさを開きながら、

行わせて頂くことができたのでした。















古代も今も出雲の神々から教えて頂くことは多く、

また受け取らせて頂くものもいつも膨大です。




私はこの今世の身で、

この等彌神社にて夏至と秋分の意義を知ることができました。




そしてこの宇宙祭祀を今回私の肉体をもって取り仕切らせて頂けたことで、

古代から私がずっと強烈に持ち合わせていた、

罪悪感と罪の意識、自罰感情というものを最後のひとしずくまで、完全に払拭することができたのでした。




出雲の方々ははじめから私のことを許していたのですが、

だからこそ古代の私にこの大切な聖地の祭祀をいっとき任せてくださっていたのですが、

私の魂は長い間、自分のことが許せていなかったのです。




出雲の方々はそれを、

私に豊かさの秋分祭祀を再び任せてくれるというやり方で、

完全に手放させ、見事に昇華させてくれたのでした。




その豊かな愛で私を根本的に解放してくれたのです。

















ということで、これで昨年の等彌神社での秋分祭祀のご報告は以上となります。





この等彌神社の後にも、さらにいくつかの神社でお仕事をさせて頂きましたので、

疲労困憊し切った体にさらに鞭打って(;'∀')、桜井市の町を雨の中自転車で巡らせて頂きました。







その中のひとつ、宗像神社について最後に綴らせて頂きます。













宗像神社は鳥見山北麓に鎮座している神社です。



その名前の通り、宗像三女神をお祀りされている古社で、

創建は不明ながらも、もともとは鳥見山中腹に座していたことが社伝に記されています。






実は宗像家というのは出雲の親族である氏族であるため、

九州より鳥見山の出雲祭祀に集うようになり、社殿を鳥見山にも設けることとなったのでした。



ですから、こちらは等彌神社の一部ともいえる神社であるがゆえ、

今回こちらにも私を呼んで頂いたのかもしれません。













そしてこちらでは御穂須須美命も現れてくださいました。



そして御穂須須美からも、出雲の事代主の墓に行くようにと、ご依頼を頂くことになったのです。



父を救ってほしい、ということでした。















この時点ではまだ私は出雲の地まで出向く余裕がなかったものですから、

御穂須須美命より、どこにでも行くことができるという「自由の玉」を頂かせて頂きました。



そして昨年、この玉を使った一斉ワークを皆様にお届けさせて頂いたのです。






御穂須須美命より頂いた玉により開催した一斉ワークの詳細はこちら







御穂須須美命より、この時自由の玉と共に、事代主命の墓の鍵を頂きました。













ですので、今月秋分に行う現地ライトワークの布石は、この時にもすでに厚く重ねられていたのでした。




結局今月、事代主命のもとへ出向かせて頂けることになったのですから、

御穂須須美命のこの自由の玉のおかげなのだと思います。



本当にありがたい気持ちでいっぱいの私です。














この時の御穂須須美命との約束もついに果たすことができ、

感謝と同時に、

自分がちゃんとご依頼を遂行できるだろうかと、今はとても緊張しています。





出雲の歴史、

その重く悲しい側面、まだ癒し切れていない未踏の領域へ、

今回私が向かわせて頂くことになります。




敬愛し尊敬する大好きな出雲に、

私のできうる貢献を超えた貢献を、お届けさせて頂いてくる予定です。






それが今回の秋分前日の新月の現地ライトワークの一部となり、

その上で、新しい秋分祭祀を事代主命と共に行わせて頂きますので、

そこから皆様に共有できるものは、ワークと共に全てこちらからはシェアさせて頂きます。



皆様はご自身が必要なものだけ受け取って頂ければ大丈夫ですので、

今回の内容を読んで何か共鳴、共感するものがありましたら、是非ご参加くださいね。






それでは、行ってまいります(^_-)-☆








starylove

~貴方が貴方の真実の喜びに繋がって、 貴方の真実を生きられるようになるために~ リーブスインスティチュートで学んだ技術とオリジナルワークを中心に、常によりよいワークを研究、開発し、サポートさせて頂きます。