奈良・桜井ライトワーク~夏至の祭祀②






皆様、こんばんは☆



ミドリです。





寒くなってきました。


11月もあとわずか、今年もラストスパートですね。



私もラストスパートということで、

今回はようやく、奈良での夏至のライトワーク旅の後編をお届けさせて頂きます。








夏至のライトワーク前編を先にお読みください





今回もお伝えできないことがいろいろあるのですが、

夏至の一斉ワークに参加されて頂いた方々にとっての、今一度ご自身の振り返りの機会としても、活用して頂けたら良いなと思っております。



そしてこの私の現地ライトワークの旅の記録ですが、

いまだに毎回いったい誰が読むんだろうと思って発信しているのですが(;'∀')、

意外にもライトワーカーさんたちのお役に立っているというお話をいくつか頂き、

とても嬉しくありがたい気持ちになりました。



もちろん自分のライトワークなので、

行なったことがすべてであって、それを誰かに認めてもらう必要はないのですが、

今年はスターシードライトワーカー覚醒のご提供も始めましたので、

私がお手伝いさせて頂きましたライトワーカーさんたちの参考にもなれればという願いも込めて、今回も伝えられる限りの内容を綴らせて頂きますね^^






~魂の誓願を喜んで叶えていく生き方へ~









さて、夏至のライトワークの後編です。


前回は穴師坐兵主神社でのお仕事が終了したところまでお伝えしましたが、

そこから山の辺の道に入り、再び檜原神社へと向かいました。













なんといい天気でしょう♡


6月でしたが、この日は猛烈な暑さでした。



寒さにガタガタ震えていた春分の時とは本当に雲泥の差のお天気の日となり、

これはこれで暑くて大変ではあったのですが、

太陽を遥拝するこの地らしいエネルギーを感じることができて、

終始うきうきして進むことが出来た私でした♪












目的地への道の途中で、飛び入りのお仕事も行わせて頂きました。












山の辺の道を歩いていると、入口が塞がれていてよく全貌がつかめない神社が現れました。



これは神社?…と不思議に思っていると、

突然ひょっこり現れた方(人間ではありません)に、何の説明もなく連れていかれることになりました。


そのまま連れていかれるままに、すぐ隣にある脇道をひたすら進んでいくと…












道の奥に神社の境内に入れる入り口が現れました。



こんなところに入口が…と驚きながら中にお邪魔すると、

塀に囲われた境内の内側は、意外にも広い空間が広がっていたのでした。












この不思議な場所で、そのまますぐに舞いを行わせて頂くことになりました。


なんとも無駄のないスムーズな運びとその采配に、喜びがさらに増した舞いとなって、とても楽しかったです。



短い交流で必要な情報だけ頂き、

さらりと必要なお仕事をさせてもらえて、

お互いに感謝に満ちてその場をさっと離れ、何事もなかったかのようにあっというまに終了しました。



ほんの数分の寄り道でしたが、中身は濃く、

そのリズミカルでとても快適な流れに幸福感に満ちて、

何だかとてもパワーアップさせて頂けて、山の辺の道へと戻ることができました。












そしてそこからまた、山の辺の道をひたすら歩くことになります(今回は山の辺の道の詳細は割愛です)。



足腰がガタついてきた頃、ようやく檜原神社に到着しました。











燦燦と陽光に輝く檜原神社は、本当にとても美しかったです。











こちらも前回の春分に訪れた時は、悲壮感に潰されそうな時間を過ごした記憶がありますが、

今回は本当に輝きと光に溢れた再来の時となり、

とてもとても嬉しかった私でした。




前回に比べると、過去世の私をより客観的にいつのまにか受け止められるようになっていた自分に気づくことができ、

過去世の自分とひとつに一体化することにも抵抗がなくなっていて、

何というか、

すでに全てが光となって、私を照らしてくれているようでした。





ライトワークというお仕事は、

自分の進化や変化が本当に早いと感じます。



自分に対して意識的に真摯に向き合って取り組むことはもちろん必要なことなのですが、

その過程を、ライトワークのお仕事をしていることで、知らないうちにとても大きくクリアさせてもらっていることが本当によくあります。



このお仕事をさせて頂く全ての行程、その営みの全てに従事しているうちに、

自分としてはただ喜びにいっぱいになっていただけなのに、

あんなに無理だと思っていたことや耐えられないかもしれないと感じていたことが、

すでに光として自らにいつのまにか昇華されているのです。




ライトワークは光のおしごと。


本当にまさに光の喜びです。














私の記憶の中で、過去世において、こちらの場所で過ごしていた時間は、

当時の波乱に満ちた私の人生の中でも、わりと心の休まるものでありました。




憩いでもありましたし、

多くのありがたい出会いもありましたし、

朗らかな時の中で笑顔になることも多かった場所でした。

またそのように、結界を張ってこの場所を護ってもいました。




ただもちろん、私が当時、常にわずかでも罪滅ぼしとなればという想いであったのは変わりなく、

複雑な環境と緊迫した状況、そして切羽詰まった心理状態のまま、

自分の出来ることに最大限に勤しんだ中でのことであったのは事実なのですが、

それでもやはり、こちらの場所が私にとって安らぎであり憩いの場であったというのは、間違いなかったように思います。



このたびの再来により、この地で当時安らぎを得られていた自分を思い出し追体験することができたことは、非常に大きな収穫となりました。



何かと苦しい思い出が多かったこの私の過去世を、

以前よりも自然に受け止め抱きしめることができるようになりました。














…ところでなのですが、今回の旅ではちょっとしたハプニングがあったのです。



そんな私の間抜けぶりも、今回の旅が、前回の春分の過酷な旅とは全然違うことを示してくれてもいて、

今ではよい旅の思い出となっていますが、

やはり大変でした(;'∀')





そのハプニングは、旅の最初の段階で起きました。


電車で巻向駅に到着し、いよいよ穴師坐兵主神社へと勇んで向かい始めたところで、何とスニーカーの底がぱっかり外れてしまったのです。


それも両足とも。




(記念に帰ってから撮影しました)







えええ?!嘘でしょ!?

とその時は一瞬何が起きたのか理解できず...



これから一日歩き倒すというのに、こんな靴でどうしたらいいの??

と、一瞬で途方に暮れてしまった私でした。


すでに道は山近くとなっていて、もう私の他に誰も通っていません。



私はこれまでスニーカーの底が外れるということを経験したことがなかったので、

底って外れるんだ…、という新しい驚きも味わいつつ、

結構新しい靴だったのでその兆候も前日までまるでなかったものですから、

本当に頭が混乱してしまいました。


ちなみ底がない状態だと、足裏がほぼ直に地面に着くような感じとなってしまい、とても山道を歩くことはできません。


接着剤などももちろん持っていませんし、

輪ゴムやビニルテープのような応急処置できそうなものも、全く何も持ち合わせていませんでした。


まさに大ピンチです(;'∀')



どうしてこんなことに…と頭を抱えてしまいましたが、

それでもどうにかして先へ進まなくてはなりません。

旅はこれからなのです。




そこで私が捻出した方法は、

自然の力をお借りして、道の脇に生えている蔓を使ってスニーカーの本体に靴底を括り付けることでした。



青々とした若い子をむしるのは忍びなかったのでなるべく枯れた蔓を選び、

両足を蔓でぐるぐる巻きにして、ようやく再出発できました。



何とも原始的な方法で、まるで古代人体験を実践する人みたいになってしまったのですが、

もう見た目なんて気にしていられません;



しかも歩くほどに底がすぐにずれてくるので、何度も蔓を巻きなおさなくてはならず、なかなか大変な道程となりました。


深い山道に入っていくと、道がもっと険しくなってくるので、蔓自体が擦り切れてしまい、

何度もその都度蔓を山から補充しては巻きなおす、ということを繰り返さなくてはなりませんでした。



いったい私は何をしているのかしら…と道中思うこともたびたびあり、

人間って本当に大変よね、とあらためて身に染みて思った次第です(;'∀')



高次元だけでできるのならよいのですが、

現地ライトワークは、身体を持って現地に行かなくてはできないお仕事なのです。





そんな苦労を経て、

ようやく到着した先程の檜原神社付近で、救世主が現れたのでした( ノД`)












その救世主はこちらのお茶屋さんの方です。


画像にも後光が差しています(涙)












私の足元を心配してくれたこちらのお店の方が、

ひもやテープなど使えそうなものをいろいろと探して持ってきてくれ、ゆっくりと準備していってください、と場所も提供してくれたのでした。

そしてここから先の旅のために、さらに予備まで充分に持たせてくれました。



何とやさしい方でしょう(:_;)

思わず泣きそうになりました。




こちらのお茶屋さんは檜原神社の目の前に位置しているお店で、

実は以前の春分の旅の時にも立ち寄らせて頂いていました。


大雨暴風の中ですっかり冷え切った身体を、こちらの一杯の甘酒が温め癒してくれたのでした。


この辺りにはこの一軒しかこのようなお店がないのですよね。




毎回タイミングよく助けてもらって本当に感謝しかなく、今回はお礼に何かおみやげも購入もしていこうと思い、

ちょうど目の前に展示されていた三輪のお酒、「みむろ杉」を買っていくことにしました。



荷物がちょっと重くなってしまいましたが、靴の問題が解決した私は心も軽く、お店の方にたくさんお礼を伝えて、無事に次の目的地へと出発することができたのでした。



お茶屋さんの方、本当にありがとうございました。






そしてこのハプニングの流れは、この日の最後のお仕事の地で回収されることになるのですが、

この時何気なく選んだこの「みむろ杉」のお酒が、実は最後の神社にて必要なアイテムであったのです。



この時はただこのありがたいお酒を抱いて感謝しながら、また山の辺の道をひたすら歩いた私でしたが、

さすがにお酒は重いですから、どうして私はよりによってお酒を買ってしまったのかな…と、正直思ったりもしていたのです(-_-;)



しかし、お酒がこの日は必要であったのでした。



この日の一連のハプニングも、もしかしてここでお酒をゲットするために起きたのかな、と後から思ったりもしました。


とはいえ、何もこんな入り組んだ調達の仕方とならなくても……と思うところではありましたが(;'∀')、

結果的にはお酒を次の地に持っていくことができたのですから、

ライトワークの旅とは本当に不思議なものですね。













その後、最後の目的地に向かう前に、いくつかの地で細かなお仕事や役目を無事に果たさせて頂き、

最終地の最寄りである桜井駅へと電車で移動しました。


電車が混んでいたので、私の遭難者みたいな足元を誰も気にしてはいなかったようです(たぶん…)。





こうして穴師と三輪で予想以上に時間がかかってしまったので、

桜井駅に到着するや否やタクシーに飛び乗り、私はこの日の最後の目的地、等彌神社へと向かいました。




そう、私がこれまでのブログで何度も素晴らしい素晴らしいと連呼していた、あの等彌神社です。













この日こちらに来させて頂いたのは、

前々から出雲族、出雲の神々より、出雲の夏至の祭祀がこの地にて行われるから来るようにと、おっしゃって頂いていたからでした。




ですがようやく等彌神社に到着した頃には、私はかなり疲労困憊していて、

この地に滞在できる残り時間ももうほとんどなくなっていたのですが、

この神社に来るのがとてもとても楽しみだったので、何としても訪れたかったのです。













こちらが等彌(とみ)神社の入り口です。


こちらの鳥居は、伊勢神宮内宮から譲り受けたものなのだそうです。




まるで大きな森への入り口であるかのような雰囲気ですが、

等彌神社は聖地鳥見山の麓に鎮座する古いお社で、その山から続く緑にあふれた、とても広い敷地の境内を有している神社なのです。




境内案内図を見ると、隣している鳥見山頂上の零時(祭りの庭)まで、境内が続いてることになっています。












とても来たかった等彌神社、

はじめてこちらに来させて頂いて、この時にとてもよくわかったことは、

この神社の今のいわれはさておき、

ここはまぎれもない出雲の神社であるということでした。













一歩神社に足を踏み入れると、

そこにはとてもふくよかで、もうどうしたって喜びに満ち満ちてしまう、

やわらかで軽やかで、

一瞬で感極まざるを得ない、

出雲でしかありえないエネルギーが、境内中に満ちあふれていたのです。













等彌神社は、出雲人がつくったテーマパークなのかと思ってしまうほど、

この場所だけ古代出雲独特の、嬉しくて嬉しくて、踊り出したくなるような楽しい雰囲気に浸されていました。


そしてその濃密なエネルギーの中で、生命力に満ち満ちて、弾むような在り様の美しい緑と精霊たちが、あちこちで遊んでいるのでした。



まるで喜びのエネルギーだけが咲く花苑のようであり、生命の歓喜の杜のようであり、

異次元の美しい宇宙空間がひろがっているようでもありました。












歩を進めるごとに、この地のあまりの素晴らしいエネルギーに、

何なのここは…と何度も口に出てしまうほど、心が震え、幾度も涙がこぼれてしまいました。



これが出雲の聖地なのだと、もうどうしようもないほどにただ感じ入ることができました。












ゆっくり滞在する時間がほとんどないことが本当に悔やまれました。


それでもこの素晴らしすぎる境内を時間いっぱい体中で味わいたくて、ただ散策させて頂きながら、

要所要所でメッセージやギフトなどを頂かせて頂きました。



細かなお仕事はさせて頂きましたが、

この等彌神社に至っては、もうお仕事というよりはただただ遊びに来たような私でした。







ある場所では出雲の蛇神から、

以前一斉イベントで活用させて頂いた予祝の玉を頂きました。



時間がなくてちゃんと貢献できずにすみません、


と私が伝えると、


そんなことはどうでもいいから、


ただ、楽しめ、歌え、祝え、飲め、


と力強く言われたのでした。


すぐに、はい!と返事をしたものの、


歌うのはいいけれど、飲むことはできないんです、


とさらに私が伝えると、


今日の夏至の祭りでは飲まなければ意味がない、


早く酒を酌み交わしなさい、


と蛇神より、さあさあ、とにじり寄るように促されました。


この神社でお酒を飲むなんて想像もしてなかったので、お酒なんて準備しきてないんです、


と困った私が真面目に答えると、


そこに持っているじゃないか、


と私が大事に抱えて運んできたみむろ杉を指摘されたのでした。


本当だ、私、お酒持ってる!


私は自分で大切にここまで抱えてきたにも関わらず、

自分がお酒を所持していることにここではじめて気づいたのでした。




そういうことだったの??

と、私は気づいて、なぜかドキドキしてきたのでした。




さあ、飲みなさい、


夏至の祭祀の始まりです、



蛇神に促されるままに、

私はすでに愛着さえ感じていた大切な「みむろ杉」を開封して、小さな瓶のふたにお酒を注ぎ、

ひとくち口に含ませて頂きました。



はじめて飲んだ三輪のお酒、みむろ杉は、

三輪の水と三輪のお米でできた三輪のお神酒でもあるせいか、

爽やかな風味と澄んだ甘みが、まるでそよ風に吹かれたかのように溶けていく味わいで、

これは本当にお酒…?と、私はとても驚いたのでした。



そうしてお酒を体内に入れた私の体には、

お祀りのまるい灯が灯りました。













そして導かれるままに、次に本殿へと向かいます。












本殿には複数の出雲の神々がいらっしゃり、私の前に現れてくださいました。



そこで八千矛からは楽しみの壺を頂き、

八重波津身からは慈しみの壺を頂きました。



こちらも以前一斉ワークイベントで使わせて頂いた素晴らしい叡智です。













彼らを言い換えるならば、

八千矛は大国主、八重波津身は事代主です。


こちらのお二方からも、お仕事の情報をお渡し頂くと共に、


踊れ、うたえ、飲め、と、

ひたすら楽しんで帰りなさい、と、


おっしゃって頂いたのでした。












必要なお話を終え、本殿を後にしようと振り向くと、

いつのまにかすでに境内中で祀りの宴が始まっていました。











多くの出雲の方々が地べたに陣取り、

酒を酌み交わし、

歌い、舞い、笑い合う、

にぎやかな情景が広がっていたのです。



その光景はなぜか涙と郷愁を誘う、美しい美しい桃源郷のようでした。












そしてその中でひとり輝くほどに美しく舞う、佐穂姫命の姿がありました。



さっきまで本殿にいらしたはずの佐穂姫は、いつのまにか社を飛び出し、

出雲の方々の中に紛れて、

美しい舞いを披露しながら時おり姿を現しては、

私を宴の中に招き入れてくれるのでした。












いつのまにかあたりにはお祀りの何とも美しい音楽が響き渡っており、

たくさんの赤いまるい灯りが境内中に灯されていました。



私にも灯った、まるい喜びの灯です。



出雲の方々にも、皆それぞれにまるい灯が灯っていました。






何と美しいのでしょう、

これが夏至の出雲のお祀りなのだと、

その世にも美しい光景に、

私は何度目かの涙をこぼしていました。













けれどこの出雲の聖地が素晴らしければ素晴らしいほど、

私は過去世の自分の存在がいたたまれなくなる想いにかられ、

申し訳ない気持ちと罪悪感がこみ上げてきてしまいました。



ごめんなさい、


そう何度もつい口にしてしまう私に、


謝るな、


とすぐにかぶせるようにして、彼らが言葉をかけてくれました。






彼らは口々におっしゃってくださいました。




出雲はいつもそう、


敵も味方もいないのです、



皆で楽しもう、


皆で愛そう、


何もしなくていい、


それでいい、


 


さあ愛そう、〇〇(私の過去世の名前です)、


ここは零時の麓で皆がいる、


皆で祝おう、



許される必要もない、


許す意味もない、



楽しもう、〇〇、



さあおいで、一緒に歌おう














またもや私は、この桜井の地で、

許されてしまいました。




その許すという行為さえ、不要なものだと思えるほどに。





出雲の夏至の祭祀は、

癒しと喜びの光のおまつりでした。




楽しくて、楽しくて、

この中にずっといられたら、どれほど幸福であろうかと思いました。





この奈良の地に、桜井に、

確かに出雲は在ったのだと、

出雲人はいたのだと、


そして長い長い時を経て、

私をこの日に呼んでくれたのだと、


私は全てを知ったのでした。




私はその全てに、


大地にひれ伏したくなるほどに、

感謝の念が止まらかなかったのです。













とても長い時間この場所にいた気がしましたが、

滞在時間は15分程度でした。




もう戻らなければ、電車の時間に間に合いません。




名残惜しすぎる気持ちを抑えて、

皆と別れの挨拶を道々交わしながら、

私は神社を後にしました。













ちなみにこちらの鳥居は、時間があればこの日登山したいなと思っていた、聖山鳥見山への入り口です。




後日、秋分の再訪時にそれは叶うことになるのですが、

低山とはいえ、とても片手間で登れるようなお手軽な山ではありませんでしたので、

間違ってこの日に登り出さなくて本当によかったです。


帰れなくなるところでした(;'∀')





秋分の日の等彌神社再訪では、

この鳥見山頂上の鳥見山霊時、すなわち「登美の霊時」(まつりのにわ)にて、私にとって大変大きなワークとなる祭祀を行わせて頂くことになるのでした。



この夏至の日の来訪はいわばそのプロローグのようなものとなり、

この日は出雲の方々からのインビテーションのままに、

本来の夏至の祀りというものをただただ体験し堪能させて頂くことができました。





ですがこの夏至の日に、

私は確かに生まれ変われたような気がしています。



喜びの素晴らしさをこの身体で体験し、

それが起こしうる奇蹟を知りました。




私はこれからやってくるさらなる喜びの時代に向けて、

この喜びというそのものを、

私に関わる全ての方に伝え開いていかねばならないと、

自然と覚悟ができた東京への帰り道となりました。













これで、夏至のライトワークのご報告は以上となります。



まさかまさかの11月のお届けとなりましたが(;'∀')、

今年中に皆様にお伝え出来て、本当に良かったです。




これでようやく、秋分のライトワークのご報告へと進むことができます。


また頑張ってお届けさせて頂きますので、秋分のご報告もよろしくお願い致します。




お読み頂き、本当にどうもありがとうございました♡♡♡







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starylove

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